コラム・エッセイ
旅立ったうたごえ
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子「野村さんが亡くなられました」つれ合い殿の携帯に連絡が入ったのは先月18日、日曜日の朝のことだった。うたごえボランティア活動「うたごえ喫茶周南」の創立メンバーの中心だった野村克行さんが亡くなられたという知らせだった。
私自身は直接のお付き合いはなかったが、我がつれ合いは市内のうたごえの集いで顔を合わせて以来の長い付き合いだという。
名前と顔と、うたごえ以外、互いに何も知らず聞かずの関係が長らく続き、うたごえの集い以外のお付き合いはなかったようだが、「うたごえ喫茶周南」の発足後、しばらくして野村さんからのお声掛かりでうたごえ活動に参加するようになって、親密さは深まっていた。
うたごえ喫茶周南の実行委員長として活動の中心となっていた野村さんは本当に歌と歌唱が好きな方だったようで、うたごえ好きでは人後に落ちない我がつれ合いも、その美声にはいつも感心していた。
私も一度だけうたごえの例会に参加したことがあって、その時、歌唱リーダーの席に車いすでマイクを握った年配の男性がおられるのを見て、誰かしら、どうしたのだろうと思っていたら、マイクを通してしっかりとしたきれいな歌声が流れてきて驚いたのを覚えている。
そのあと「あの人が野村さん」とつれ合いから教えられた。
実は野村さんとは全くご縁がないわけではない。もちろん、直接お目にかかったことはないのだが、いつだったか、野村さんが、先立たれた奥様の思い出をつづって地元の文芸誌に発表された作品をつれ合いに送って下さったことがあった。
舞ってきたちょうを奥様の化身と見立てて、在りし日を懐かしむ、細やかな愛情にあふれた文だったが、その文芸誌は、私も創刊に関わったものと同じ誌名で、もしかしたら同じ文芸仲間なのかもしれないのだ。まだ確かめていないが、思いがけないご縁があったのかもしれない。
ここ数年は体調が優れず、歩くのも不自由な状態とのことだったが、マイクを握った時は姿勢もしゃんとして、歌声も変わらぬ美声で、どうしてあんなに出来るのかと、つれ合いはいつも驚き、感心していた。
葬儀の会場で、ご自身が作詞・作曲され、CD化された歌が終始流されていたそうだ。もちろん、ご本人の歌声で。
正確で静かな、朗々とした美しい歌声が、耳を通って体の中まで届き、歌が好きで物静かなお人柄を改めて偲んだと、つれ合い殿はしみじみと語った。
(カナダ友好協会代表)
