コラム・エッセイ
ブラックホール
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子振り込め詐欺にアポ電詐欺、レベルの低い失言による相次ぐ閣僚の更迭と、日常生活を覆うやりきれない空気を吹き飛ばすように伝えられた、ブラックホール撮影成功のニュース。しかし世界各地で同時発表されたその画像を見た時、それほど衝撃的な感動を覚えなかったのは、私だけだろうか。
中央の暗黒部の周りをオレンジ色に輝く帯が取り囲んだ、ドーナツのような画像。あまり感動を覚えなかったのは、それがあまり鮮明でない、ぼんやりとしたものだったからばかりではない。これまであちこちで目にしていた、ブラックホールとはこんなものだと想像で描かれてきたものとほぼ同じ構図で、人類史上初めて目にするものと言われても、何か拍子抜けしたような印象で、譬えて言えば(あくまでも譬えだが)「1+1は2で、1×1は1だということが、初めて厳密に証明された。これは人類にとって画期的な大発見だ。」と言われたような感覚だったからだろう。
研究者の世界では興奮と感動を呼び起こすような出来事かもしれないが、そんなの当たり前のことではないか、当たり前のことがやはりそうだったと分っただけなのではないかと思ってしまったのだ。
同じ宇宙にまつわる出来事でも、少し前に伝えられた、無人探査機「はやぶさ2」が地球から3億キロかなたの小惑星「りゅうぐう」に到達し、様々な作業を開始したというニュースの方は、かなりの感動を覚えた。画面で初めて目にする「りゅうぐう」の姿よりも、日本で作られ、4年以上前に打ち上げられた探査機があんなに遠くの小さな目標に正確に到達し、しかも地球からの指令に従って様々な作業を行っていることに人間の能力の、科学の力の素晴らしさを実感して興奮し感動し、そしてそれが日本人の手で成し遂げられていることに感激したのだった。
ブラックホールの方にはりゅうぐう・はやぶさ2ほどの感動が起こらなかったのは、映し出されたのが想像していたのと変わらない画像だけで、そこに働きかける人間の力は全くないものだったからだろう。しかし、この画像は人類が初めて目にしたものであることは確かだし、そのためには全世界の科学者の、国境や政治的対立を超えた協力体制のもと、観測施設の一糸乱れぬ操作、それに観測のための自然条件の一致など、困難な条件を克服するため長期間の想像を絶するような努力が必要だったことを知ると、やはり新しい年を迎えるに相応しい感動的な出来事だと思える。これも今日まで生きてきたことへのご褒美なのだろうか。
(カナダ友好協会代表)
