コラム・エッセイ
就任失言
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子教育勅語にもいいことが書いてある。確かにそうだ。親を大切にし、兄弟姉妹は仲良く、夫婦はいたわり合い、友人とは親しく、人には思いやりと心遣いをもって接し、という意味のことが難しい表現で書いてある。だが、これらは平和な生活を望む人なら誰もが思い伝えてきた普遍的な道徳観で、教育勅語で初めて取り上げられたものではない。
内閣改造で念願かなってあこがれの大臣の椅子を手にした文部科学大臣が、就任会見で放った一言「教育勅語には、現代風にアレンジすれば道徳の授業などに使える分野が十分にある」。彼が言う「道徳の授業などに使える分野」が具体的にどこを指すのかは明らかにされていないが、おそらく冒頭に取り上げた部分だろう。
だが、教育勅語の主旨は「国民は皆仲良く助け合ってよく学び、最高権力者への忠誠に励め」と求めるもので、本質は「忠誠に励め」にあるのだから、民主教育とは相容れないものとして、敗戦後の国会決議で否定され、失効したものだ。誰でも受け入れられるものを含んでいるからといって、本質の部分を評価する理由にしてはいけない。
例えば先ごろ道の駅ソレーネ周南で捕まった脱走犯を「彼は困難な状況の中でもあきらめることなく、常に創意工夫して活路を見いだし、元気いっぱい行動した。その行動力は他の青少年の生き方に参考にすべき点が多い」とたたえるようなものだ。その部分だけを見ればそんな評価も可能だが、彼自身をたたえられるかといえば「ノー」だろう。
この新大臣の失言。なぜこの時、この場所で教育勅語をわざわざ取り上げたのか。初入閣に気持ちが高ぶって、ついうっかりとも思えるが、恐らくそうではない。あれは失言ではなく、この場でこの言葉をぜひとも口に出す必要があったのだ。
彼が政治信条として、あるいは人生観・価値基準として教育勅語を何よりも大切にしているのかどうかはわらないが、考えられるのは、彼が就任に当たってこの言葉を発することが、自分の利益につながるのだろうということだ。
自分はこの場でこの言葉を確かに語り、あなたたちと同じ立場にいることを示しましたよ。だからこれからも厚いご支援を、という宣言なのだろう。
具体的にどこの何かはわからないが、国民への奉仕よりも、見えないところでうごめいている力のために動こうとする気配が、政治・行政の世界で目立つようになってきたことに、怒りと恐怖を感じてくる。
(カナダ友好協会代表)
