2026年05月02日(土)

コラム・エッセイ

明治は遠く…

新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子

 「終活」という言葉がいつから市民権を得たのかよくわらない。以前なら「しゅうかつ」と言えば「就活」のことだったのだが、最近では相手の年格好をみて、どちらのことかを判断することになる。

 自分は当然「終」の方で、幸い今のところは日常生活にあまり支障なく活動出来ているが、いつ、何が起こってもあまり文句は言えない時期になっていることに思い当たると、にわかに身辺が気になってくる。

 周囲に目をやると、家中にあふれたあれこれは、残された者にとっては扱いに困る邪魔物ばかり。やはり自分ができるうちに判断し、後の者に負担がかからないように整理・処分しておくべきだろう。

 こんなことを思い、改めて見回すと、目につくのは本の山。たぶん一度は手に取っているはずだが、いつ、どこでの記憶もおぼろげな本の数々。「終活」の2文字を念頭に浮かべながら、久々に本棚に手を延べた。

 だが、本当に終活のために整理・処分するのなら、一冊々々を手にとって眺めていてはいけない。ページの間にひっそりと閉じこもっていた思い出が一斉に広がってきて、処分など出来なくなってしまう。

 だから、その時も本気で処分する気などなく、むしろ飛び出してくる思い出を懐かしみたいだけだったのかもしれない。

 一冊ずつ手にとっては戻しを繰り返すうちに手にした、ずっしりと重い一冊。以前にも紹介したことのある、我がつれ合いの祖父の大学時代の講義ノート。堅牢な洋紙に700ぺージ以上にわたってカタカナと漢字で数式と図表を交えてインクでびっしりと手書きされたノートは見る度に圧倒される。

 最初のページには本人の署名の下に「31th years of Meiji」と記してある。今年は「明治150年」ということは、これはちょうど120年前の明治時代の学生の勉学の記録ということだ。

 誇り高き帝国大学の学生ではあったが、特に名だたる業績を上げたわけではなく、普通の学生であった人でも、かつてはこのくらい真剣に勉学に打ち込んでいたということを厳然と示す事実を目の前にして、「なぜ勉強しなければいけないのかわからない」と悩む現代の高校生と比べて、明治の若者は偉かったとたたえるべきか、勉強さえしていれば悩みもなく過ごせた時代だったんだよ、と思うべきか。

 簡単には断じられないが、いずれにしても近代の夜明け以来150年。遠くなった明治を思わせる一冊は、今も本棚の一画に、革の背表紙に覆われて収まっている。

(カナダ友好協会代表)

120年前のノート

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