コラム・エッセイ
時をたどる
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子今年ももう半分近く過ぎたことになる。古い記憶はかなり保っているが、新しいことは記憶にとどめ難くなっているから、あまり早く時間が過ぎると、とっておきたいあれこれもどこに保存したかわらなくなるのではないかと不安にもなり、何よりも、とっておきたいと思ったことさえ忘れてしまうことが多くなった。
そんな中で、およそ30年前の資料を探さなければならなくなった。断捨離信奉派の娘なら、そんなものはとっくにありませんと最初から答は出せるのだが、確かこんな色のファイルに収めたはずとおぼろげな記憶があるだけに、あきらめきれず捜索開始となった。
家の外での活動を始めて、かれこれ40数年になり、膨大な記録・資料のファイルが家中のあちこちに置かれている。図書館や大企業のようにルールに従って整理保管しているわけではないから、何があるかは手にとって開いてみなければわからない。どれが30年前のものかわからないから、結局、全部開いてみることになる。
気が遠くなるような思いのうちに意を決し、まずはこのあたりと思うところから探し始めたが見当たらず、結局、全部に当たることになった。記憶のはっきりしないものを探す、目的は違っても同じような作業をした人なら、この後、どんな展開になったか、恐らく想像がつくだろう。
そう、捜索作業は目的の捜し物へ一直線には進まないのだ。何しろ40数年間の、おぼろげな記憶しかないが、その時には大切だと思っていた事柄が、文字で、写真で、はっきりと現れてくるのだから、当時の思い出が次々とよみがえり、目的の捜し物を離れてそれぞれの時に自分を連れ戻すことになる。
今も続いている国際交流の行事に参加した子どもたちの感想文や、この行事を始めたころのさまざまな人や機関との交流・交渉記録、故人となった人も含め、多くの知人からの数々の手紙、連絡文、報道記事のスクラップなどが次々に目の前に現れ、その度に瞬時に当時に戻って記憶を新たにしてゆく。
幾つかのファイルの中には我が子が小学生、中学生だったころの記録が挟まれていたり、天に召された息子からの手紙が閉じられていたりして、一つ一つを読み下しながら、胸が熱くなったりもする。
結局、2日にわたった大捜索は目的の捜し物には行き当たらず終わったのだが、整理不十分のファイルの海を大捜索したおかげで、思いがけなく40数年にわたる時を遡(さかのぼ)って、忘れかけていた記憶を新たにし、当時の心情をよみがえらせることが出来た。
目的は果たせなかった、でも決して空しくはない2日間だった。
(カナダ友好協会代表)
