コラム・エッセイ
我が師の恩
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子息子との思いがけない別れから1年半が過ぎた。時は足早に過ぎ去るようにも、変わることなく止まっているようにも感じられる。とはいえ、時の経過の中でいつかは薄れてゆくに違いないさまざまな思いをせめて手の届く範囲で集めておこうと、生前、ご縁のあった方々にお願いして、思いの断片を記していただき、追悼集を編んだ。
一周忌に間に合わせたかったが、意外に手間取り、大幅に遅れての完成となった。私たちの気持ちを十分に理解してくれた出版社の配慮と技術で、素晴らしい出来映えのものとなった。
寄稿いただいた方々、生前、ご縁のあった方々にお届けし、何か一つ、望むことではなかったが、為すべきことをし終えた気持ちになった。
しばらくして1通の封書が届いた。息子の大学の恩師、M先生。大学最終学年の卒論研究を指導していただいた先生は翌春が定年で、息子は先生にとって研究室最後の学生という関係だった。そのためか、いろいろ迷うことも多かった息子に研究指導の枠を越えて心を配っていただき、息子は励ましを受けながら卒業論文を仕上げ、卒業できた。
後任の教授で、その後、生涯の恩師となったN先生にも、引き続き大学院を志望する息子のことを託して下さったようだった。
指導を受けたのは1年間に過ぎなかったが、学界の権威であったM先生はその後も各地の大学で教育・研究活動を続けられ、息子の研究活動にも時折講評や激励を下さり、旅先から近況を知らせる葉書が届いたりしていた。
そのM先生からのお便りは、まずお送りした冊子への礼言に始まり、息子の学生時代の研究室での様子、卒論で取り組んだことが生涯の研究テーマとなったことへの賞賛と、その後の研究活動への評価の言葉がつづられていて、慈愛あふれるひと文字ひと文字を、想像しか出来ないM先生と息子との交わりを思いながら、繰り返し目で追った。
もう随分なお年のはずだが、今なお現役で研究生活を続けておられる最近の論文も同封されていて、かつて指導した学生として在りし日を懐かしむというだけでなく、同じ研究者として対等な立場で見ているよという思いを示されている気持ちがした。
さまざまな偶然の結果の、まさに縁としか言いようのない師との出会いを、本人がどのようにとらえていたのか、確かめたことはない。しかしわずか1年だけの直接の交わりで得られた敬愛する師から、その後20数年、変わらぬ慈愛と支持を受けたことは、大きな心の支えとなっていたことだろう。
「我が師の恩」…名歌の一節の言葉が心にしみこんで来るのを感じながら、M先生の特徴のあるペンの文字を読み終えた。
(カナダ友好協会代表)
