コラム・エッセイ
葉桜、チャーチル、クラス会
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子地球温暖化の結果だというのは早計だが、今年の桜は確かに異常だった。
毎年4月初めは東京でのクラス会参加が恒例になっている我がつれ合い。そのついでに、旧友達との上野や靖国神社、千鳥ケ淵など、桜の名所での花見も楽しみになっている。ところが今年は大異変。桜がない。いや、木は同じ場所にあるのに花がない。一輪も。
多少早咲きとなって盛りが過ぎていても、風に吹かれて花びらの舞う桜吹雪なら、それはそれで風情があるが、枝にも土の上にも、どこを見ても花びら一枚さえ見当たらない、完ぺきな葉桜状態で迎えられようとは想像もしていなかったらしい。
めまぐるしい変化が、自然でも人間社会でもますます加速されているのを感じるこのごろ。この激動を自分が体験するのは、長寿社会に生きていることの余録なのだろうか。運良く長生きしていると、以前には想像することもできなかったことを次々に体験することになる。
日本のどん底の混乱と絶頂、そして低迷。黒電話からプッシュホン、PHSから携帯、スマホへ。手紙からメール、SNS。テレビ、コンピューターの黎明期からパソコン、IT革命、AI時代へ。すべてが自分の目の前で起こり、否応なく組み込まれていった。
江戸時代から明治へと、大変動の時代を生きた人たちも同じ思いだったのかもしれない。こんな貴重な体験は、記憶の中ばかりでなく、さまざまに記録し、残しておくべきなのだろうと思う。
桜の下でのクラス会はかなわなかった我がつれ合い、翌日は旧友と連れだって、折しも公開されていた話題の映画「ウィンストン・チャーチル」を楽しんだとのこと。
ナチスドイツとの戦いを前にした緊迫状況を扱った、手に汗握るシーンの連続なのだが、つれ合い殿の関心は主人公のチャーチルを演じる俳優のメーキャップに集中されていたようで、この映画でアカデミーメーキャップ賞を受けた辻一弘さんの技術の素晴らしさを実際に画面で見て驚嘆したと、興奮気味に語ってくれた。
俳優の素顔とは似ても似つかない太めの顔を作るのにはかなりの量の素材を顔面に張り付けているはずだが、全くそれを感じさせない自然な皮膚の動きは、信じられないものだったという。
結果のわかっている歴史上の事実はいくらでも脚色できるのだから、映画の中での一つ一つのエピソードの真偽を問うのは野暮でナンセンス。面白ければよいのだが、メーキャップ技術だけでも見る価値があったと満足げだった。
後期高齢者の余得でシニア料金で鑑賞できたとうれしげなつれ合い殿。これからもお互いせいぜい長生きして、うれしいことも悲しいこともたくさん体験していきましょう。
(カナダ友好協会代表)
