コラム・エッセイ
命をかける
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子「国民を守るために命をかける自衛隊を憲法に書き入れないわけにはいかない」と訴える首相。ハイテンションで語る首相の思いが、自衛隊のために憲法を変えようというのか、憲法を変えるために自衛隊を利用しようというのかわからないが、どちらにしてもその言い分には異議がある。
国民を守るために命をかけているのは自衛隊だけではない。保線工事、建設工事、トンネル工事、製造現場、災害復旧工事、警察、海上保安、医療、運転、などさまざまな場で誰もが、国民生活の安全・安心を守るために、命の危険と隣り合わせの現場でその務めを果たしている。
だが、この人たちの存在意義は憲法には特別に書き述べられていないし、書かれていないからといって、後ろめたい思いで業務に携わってはいない。また、自衛隊員であることで本人や家族が肩身の狭い思いをしたり卑屈になったりしているとも思えない。
それなのに、なぜ自衛隊のために憲法を変えようという話になるのか。どう考えても、憲法を変えるための口実に自衛隊が使われているとしか思えない。そうでないと言うなら、命をかけるのは武器を持って戦う者だけだという単純な思考しかできないことをさらけ出していることになる。
自衛隊が命をかける事態というのは戦争に他ならない。まさにこの時のために自衛隊は存在するのだと思われているし、国会答弁での「国民を守るために命をかける」というのも、このことを想定しているのだろう。
しかし、これまでの歴史で、軍隊が国民の命を守ったことが本当にあるのだろうか。自国が戦場となれば(外国が戦場となるのは侵略戦争)、戦闘員、一般人の区別なく命を奪われ、戦場でなくても無差別爆撃で一般民衆は命を、財産を奪われる。
日本国民の命が最も多く奪われたのは、軍隊が最も強化された第二次大戦でだった。戦争で戦闘員は命をかけるが、それで一般国民が守られるわけではない。だから、自衛隊が命をかける事態を起こさないことが国民を守ることなのだ。
だが、それは自衛隊の役目ではない。それこそが政権担当者の最も大切な任務で、彼らはそこに命をかけなければならないのだ。その覚悟を常に国民の前に示し、国民の信頼を得た後、初めて憲法を、自衛隊を語るべきではないのだろうか。
奇しくもきょうは2月26日。旧憲法で特別な地位を与えられていた軍隊が国民の制御・管理の及ばない存在となって、国を亡ぼし、多くの国民の命を奪うことになる前兆となった事件が起きた日。
政権担当者の的外れな思い入れで再び不幸を招くことにならないよう、監視を怠らないでいよう。
(カナダ友好協会代表)
