コラム・エッセイ
22017年の人類は?
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子暦のいたずらで掲載が2週外れたので、かなり間延びしてしまったが、明けましておめでとうございます。本年も皆様ご健康で、よい年であるようにとお祈りしています。
自分の周辺にも社会全体にも想定外も含めてさまざまな出来事が昨年も数え切れないほど起こった。今年もまた同様に、いやそれ以上の頻度と規模でさまざまなことが起こり、社会も一層変化してゆくことだろう。
これらの変化の中でも特に著しいのは科学技術の変化のすさまじさだ。これを進歩と言っていいのかどうかわからないので敢えて変化と言うのだが、中でも華々しいのがAI(人工知能)とその応用技術の発達だ。
科学技術の発達は人間の生活向上に貢献してきたが、それは要約すれば時間と労力の制約から人を解放するものと言えるだろう。膨大な量の作業を短時間に正確無比にやり遂げ、膨大な物量をあっという間に移動させる。必要とする情報を瞬時に収集するなど、人間の能力を何十倍、何百倍にも拡大する働きをして、その結果、人間はさらに能力を向上させることが出来てきた。
しかし、AI技術の発達は、これとは少し質が違うように思える。それは人に貢献するというよりも人に取って代わることを目指しているようだ。車の運転で考えるなら、人が安全快適に運転しやすいようにエンジンや部品の性能、運転制御性、安全性を向上させて来たのが従来の科学技術発達の成果なら、運転そのものを人に代わって完璧にするのがAI技術の目標で、人は何も考えずに乗っていれば安全、快適、快速に目的地に到達できる。
便利この上ないと思えるのだが、これが生活全体に及ぶとどうなるか。動かなくていい、考えなくていい生活の先には何があるのか。
最近「なぜ人の脳だけが大きくなったのか」(濱田穣著、講談社ブルーバックス)という本を読んだ。人の脳がほかの動物に比べて著しく発達したのは、二足歩行の結果、手が自由に使えるようになったことが大きな要因なのだが、細かな作業が刺激となって脳が発達し、その脳の指令で手指がさらに複雑な動きができるようになり、その結果生じる新たな刺激で、脳がさらに進化するという交互の働きかけが、ほかの動物より際だって大きな脳を作り出したらしい。
すべてAI任せで、自ら動くことも考えることもしなくなった人類はどうなるのか。2万年後の地球上、必要な刺激のないまま脳も体も萎(しぼ)んでしまい、握りしめたスマホの画面にひたすら見入るばかりの人類を何の関係もないようにAIに管理された社会が営まれている。
こんな光景が現実とならないことを祈りながら、今年も新年が始動した。
(カナダ友好協会代表)
