コラム・エッセイ
AI怖い
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子“チャットGPT” 昨年後半から突然聞かれ始めた「生成AI」アプリだ。あっという間に広がって、周囲でも試しているという声を聞くことが増えてきている。
では私も試してみようかとパソコン画面を開いてみたが、使うためには言われるままにあれこれとデータを打ち込まなければならないようで、警戒心は高まる。
初めは無料でも皆が使うようになったら突然有料になりとんでもない使用料請求が来るのではないかとの恐怖心も重なって、結局まだ手をつけられないでいる。
その間にも試している人は日本でもずいぶん増えているようで、こんなことが出来る、人間社会を一変させる力のある技術だ、産業革命以来の社会革命が始まると、大きな話題になっている。
知りたいことを聞くとあっという間に体裁の整った見事な文章で回答があり、レポートやテスト解答、研究論文さえ代筆できるほどだというのだから、本当?なぜ?と思うばかりだし、では試してみようと思うのも無理はない。
たいていの人にとって不得手で時間のかかる作業を自分に代わって自分がやるよりも立派に遙かに早くやってくれるというのだから、重宝に思わぬはずがない。
開発者が日本を訪問すると日本国首相が早速に会談して歓迎を示し、全国紙も1面トップで関連記事を扱うのだから、様々な分野で利用の動きが一斉に進むのだろう。しかし、危ない、危ない。
コンピューター利用に係わる新しい技術が世に広まるときには先ず軍事分野で、次いで娯楽(ゲーム)の分野で試され、それから日常生活分野に広がって来るという流れになるようだが、その時気をつけなければならないのはその技術がいいことに使われるとは限らないということ。
SNSの広がりは日常生活を便利に快適にしたが、同じ技術が闇サイトを介した犯罪の場の広がりや、犯罪手段の巧妙化に利用されている。
同じようにこの「生成AI」の技術も犯罪者が良からぬ(彼らにとっては有用な)知識と情報を容易に得る手段にもなり得るのだから、その対策を講じないで使いたい一心で利点だけを唱える声に引きずられて採り入れていると、善良な人は考えることを止めてAIの結論に従い、自分で考えているのは犯罪者だけというとんでもない世界になりそうだ。
そうならないためにはせめてAIの出した答えを「この答えに問題はないか?」とそのAIに聞き返してみることも必要になるのではなかろうか。
(カナダ友好協会代表)
