コラム・エッセイ
上書き記憶
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子一日一日と日の長さが増してゆくのが感じられる梅雨前のこの季節だが、初夏の爽やかさを満喫する間もなく例年同様の猛暑到来を予感すると、晩秋と並ぶいい季節の双璧の一方が崩れるようで、残念な思いが先走ってくる。
そんな季節の巡りの中で脳梗塞発症以来、真面目に励んだリハビリと服薬のおかげで無事1年を過ごしたわが連れ合い。統一地方選挙の投票場入場券が届いたのを機に、日頃お世話をかけている皆さんへのご挨拶、郵便局での受け取り、何よりも善良な国民としての権利であり義務である投票を果たすことを口実に先月末、2泊3日の留守宅訪問となった。
お土産や身の回り品を詰めたリュックを背負い、見送りも不要に元気に出発したのだが、その日の夕方慌てた文面いっぱいのメールが届いた。
①朝晩毎日飲まなければならない薬の朝の分を忘れてきた
②郵便局で品物を受け取るクーポンを忘れてきた
③スマホの充電器を持ってくるのを忘れた。
薬は絶対に忘れてはいけないと前日二人で確かめ合い、これは朝の分、これは夕方の分と分包して必要数を袋に入れてしまったはず。クーポンもそれが帰省の主目的だったはずだし、3日間も電源はもたないから、緊急連絡できなかったら大困りだろう。
結局薬は夕方だけにし、品物の受け取りは次の機会に延ばし、充電器はどこかで借用して対処し、忘れてなかった入場券で期日前投票だけは済ませて帰ってきた。
一体なぜこんなことにと問いただすと、薬は確かに用意していたのだが、出発直前にその日の朝の分を飲んだあと残りを元に戻さなかったようだ。
クーポンは忘れたことすら頭になかった。充電器もいつもはバッグに入れるのに、どうしたのだろうと。つまりいつもならあるはずの出かける前の確かめが一斉に抜け去っていて、何をしたのか何をしなかったのかさえ思い出せない、どうも、記憶そのものが存在しないようなのだ。
ついさっき朝ご飯を食べたことが記憶になくなり、また食べ始めるという認知症の症状が頭をよぎった。思い出せないのでなく、記憶がなくなっている。
これ、パソコン文書の上書き保存とおなじでは?文書ファイルのアイコンが画面を埋め尽くしていて、探すファイルがどこにあるのか分からなくなっているのでなく、一つのファイルに別の文書を書き込んで、元の文書は見られなくなっている。
どこにあるか分からないだけなら、探し出すこと(思い出すこと)が出来れば内容は分かるけれど、上書きしてしまうと元からなかったのと同じだ。認知症の仕組みは分からないが、ふと「上書き保存」という言葉が思い当たった。
画面ごちゃごちゃでも仕方ないが、せめて大事な記憶は探せばどこかに見つかるように、上書き状態にはならないようにと、願う。
(カナダ友好協会代表)
