コラム・エッセイ
「信なくんば立たず」
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子政府高官が怪文書として出して取り合わなかった省庁内部文書を、つい数カ月前までその省庁のトップだった人物が「本物だ。自分は見た」と公の場で証言した。
野党の議員たちが間接的に入手した文書を元に、真贋(しんがん)をも明らかにできないままに質問しているのとはレベルが違う迫力だ。
記者会見する政府高官も、もはや出所不明の怪文書と切って捨てることはできず、証言者のスキャンダルを暴露し、人格をおとしめることで証言の価値を低くする戦術に切り替え、防戦に努めている。
確認したわけではないが、このような高級官僚、しかもつい数カ月前まで現職にあった人物が、権勢及ぶ者のない最高権力者に楯突く行為に出た例は恐らく初めてだろう。
これで政府の主張が覆ったとは言えないが、少なくともこれまで以上に疑念が深まったことは間違いない。この人がなぜこのような証言をしたか、いや、できたかを考えてみると、彼が天下り斡旋の責任を問われて辞職したことが関係していると思える。
そのことを恨んでの逆襲かと問われて、そうではないと答えた言葉は、恐らく真意に近いだろう。他の人なら言いたくても言えなかった事実を言ったに過ぎないのだから。
それができたのは、彼の辞職の理由にある。天下り斡旋の責任を問われての辞職だから、当然のことながら天下りはしていないだろう。退職後の豊かな生活を保証する天下り先を持たないことは厳しいが、持てば、持たせてくれた周囲にさまざまな配慮が必要で、たとえ真実であっても語れないことに満ちてくる。
安楽な余生と引き替えに何重にも張り付けられる口封じの粘着紙を一枚も張られずに役人生活を終えた証言者が、ごく普通に真実を語ることができたというのが、今回の図式ではないだろうか。
先の私立学園への法外な安値での国有地払い下げ問題に続いて、今回の異様な設立認可への疑惑。知らぬ存ぜぬを通す政権側は、いずれもうまく切り抜けられる、相手のパンチは空振りだと考えているのかもしれないが、問題は政権与党の議員たちがどう見ているかだ。
二度の事件を確実なボディブローだ、これはかなり効いているぞと感じれば、思わぬ方向に流れは変わっていくだろう。数によって支えられている権力は、数によって容易に崩れてしまう。
政治にとって何よりも大切なものは、信頼。「信なくんば立たず」は権力の座にある者が以て銘ずべき、永遠のキーワードだろう。
納得できる説明を通じて信頼をつなぐ努力を忘れてはならない。
(カナダ友好協会代表)
