コラム・エッセイ
丸刈り校則
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子夏の高校野球、甲子園の熱戦は慶應義塾高校の107年ぶりの優勝で幕を閉じた。
多くの話題に包まれた同校と仙台育英学園高校の戦いぶりは、どちらにも勝たせたいと願うほどの見応えのあるもので、どちらが勝っても多くの観衆は、オータニサンのホームランに観衆がひいきチームの枠を越えて喝采するのと同じ気持ちを味わったことだろう。
選手達の活躍に加えてこの2つのチームが注目を集めたのは、両校監督の、選手や戦いを語る言葉や姿勢に、お二人の人間性の深さや人格の高潔さを感じさせるものが溢れていて、このような監督の下なら、何の強制がなくても選手達は目標に向かって一致団結できただろうと思えたし、選手達にこの監督と一緒に栄誉の感激を味わってもらいたいと思わせるものがあった。
頂点に立った慶應義塾高校には、ここに至る選手達の精進や日常にまつわる話題に加えて、高校野球では定番の丸刈り頭ではなく全員長髪であることも話題となり、丸刈り強制の校則などない自由な校風であることが紹介されていた。
丸刈り校則と言えば、女子生徒のスカートの丈、前髪の丈規制と並んで、意味の分からぬ校則批判の対象として槍玉に挙げられる定番となっている。
なぜ自分達だけ丸刈りにしなければならないのか、意味が分からないよね。皆がそう思うなら、守らなくてもいいよね。でも守らなかったら叱られるし、内申書評価にも響くから、仕方ないよ。なぜ丸刈りにしなければいけないのか、理由を説明して。出来ないのなら、そんな校則守らなくてもいいだろう、と言いたくなる。
理由はある。校則に決められているからだ。校則は守らなければならない。社会生活で規則を守らない自由はない。個人の判断で規則を守らなくてもいいのなら社会は成り立たない。納めたくないから税金を納めないでは、国はなくなる。規則の制約を受けたくなければ規則を変えるしかない。
丸刈りの校則を削除することを生徒会(+PTA)の意志に高め、学校と交渉して撤廃する。これが唯一の正当な方法だ。規則にも変えられないものはある。税金を納めたくないから憲法第30条「国民の納税義務」を削除しよう。これはダメだろう。
しかし、納税の方法は法律で決められる。減税も増税も、免税も、法律で決まっているから出来る。それに不満なら法律を変えるよう働きかけることだ。そうして初めて不満が解消される。
学校であれ職場であれ地域であれ、規則の下で動いている社会で規則に係わる不平・不満を述べ合っているだけでは社会は変えられない。規則に係わる職場の不平不満が居酒屋の愚痴にとどまっている間は、不平・不満は解消されない。
社会生活での不平や不満、不安を解消させる、庶民にとっての唯一最大の力となる投票権を自ら放棄する国政選挙投票の棄権が、なぜ半数近くもあるのか、不思議でならない。
社会の動きを規制する法や規則に不平不満がないとはとても思えないのに。
(カナダ友好協会代表)
