コラム・エッセイ
しあわせ方程式
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子1年で一番好きな秋が温暖化のせいか束の間の季節となってしまった。
澄み切った青空の下爽やかな涼風の中で快適に過ごせる日数は少なくなってしまったが、自転・公転の営みは変わることなく続いているから、昼夜の配分は今も保たれて、秋の夜長はしばらく実感できる。
秋の夜長の過ごし方は人それぞれだろうが、昼間は何かと忙しく追い立てられていると、陽は落ちても床に入るのはまだ早いひとときに、ふともの想いの秋の気分になることがある。自分の人生が人並みの長さになったと感じると、来し方を振り返って思うのはしあわせな人生を送っているのだろうか、しあわせとは何だろうかということ。自分はしあわせか、しあわせとは何か。誰でも一度ならず自分の内・外に問うたことがあるだろう。
しあわせをテーマにした作品が世に溢れ、読まれていることがそれを示している。どんな時にしあわせを感じるか、何をしあわせと思うか。これには多くの答がある。自分の願いが叶ったとき、自分が必要とされていると感じるとき、自分の努力が認められた時、欲しいものが何でも買える大金を手にした時、等々。
では、しあわせとは何か?その逆を言えばいいのか。しあわせとは高く評価されることか、大金を得ることかと問われると答えに窮する。そうでなかったらしあわせではないのだとなると、しあわせは人生でめったにないことになり、たいていの人はしあわせな人生を送れない。そうではないと思う。
でも、答は持ちたい。「しあわせ(X)とは○○だ」X=○○、この等式に当てはまる自分の○○を見つけたい。「○○でなければしあわせではないのか?」という反問に自信を持って「そうだ」と答えたい。
まだまだ答えはないが、秋の夜長に思いを巡らすテーマとしては、なかなかいい。そんなつぶやきにいつもの通り口を挟むわが連れ合い。
「自分は答を持っているぞ。」「何?」「しあわせとは、今生きていること」「じゃあ、そうでなければしあわせではないの?」「そう。生きていなければしあわせではない。死んでいることは、ふしあわせ」「昨日までも今日もしあわせを感じていなくても、明日は感じられるかもしれない。今まではどうであっても、希望のある明日があること。これがしあわせということだ」
「今生きていなければ明日は迎えられない。だからしあわせとは今生きていることなのだ。どんな生き方をしているかなど関係ない」「しあわせ=今生きていること、それが自分のしあわせ方程式のただ一つの解答だ。それ以外の答は見つからない」と言う。
なるほど、そういう考え方もあるだろう。確かに反問にも応えられる。すっかり納得できたわけではないが、この解答で答え続けていけるなら、それはそれでいいのだろう。
式の正しさはいずれご本人が証明してくれるだろう。こんな秋の夜長を重ねていきたいと思う。
(カナダ友好協会代表)
