コラム・エッセイ
魔法の一文字
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子日々の社会生活は人の動き、物の動き、情報の動きで成り立っている。夫々の動きのための制度があって、制度を動かすためのルールがある。社会を動かすために立てられた政策を制度とルールに従って実施するのが、行政官といわれる国家公務員だ。
決められた制度・ルールに忠実に仕事を進めるのが行政官の役目で、いくら疑問があっても現実に合わせてルールを変えることは許されない。真面目な行政官であるほどその思いは強く一切妥協せず、いわゆる融通の利かない石頭のお役人となる。「そんなこと言わないで、ここでちょっと目をつむれば全てスムーズにはかどるじゃないですか」となだめても頑として受け付けない。この石頭!と内心舌打ちした経験を持つ人もおありと思うが、この行政官の姿勢は決して非難もけなしも出来ない。
制度に従って決められたことをその通りに実行するのが行政官の役目で、そうでなければ社会はメチャメチャになるからだ。
一旦決めてしまうと変更できないでは現場は頭を抱えることも起こってくるが、これを避けるための便利な方法がある。「この仕事には○○を用いる」と定める代わりに「この仕事は○○等を用いる」としておく。○○を用いてとあれば、○○以外のものを使うことは担当の行政官は許せないが、「等」がついていると○○以外でも「これは○○と同じと考えられますよね」と説得することも出来、担当行政官も「決まりに反することではないから、まあ、いいか」と受け入れることも出来て、責任も果たせる。
「等」の内容が決められているわけではないから幅広く対応できる。いわゆるお役所文書に「等」の字が多用されるのは、おそらくこういう理由なのだろう。
単に生じる疑問や困難に対応するためだけでなく、うがった見方をすれば、行政が責任をとることなくやりたい放題をするために書き加えているとも思えるのだが、たった1文字で大きな効果を発揮する魔法の文字だと思える。
このことを身にしみて感じたのが最近あった事例。
若者支援のプログラムに「このプログラムでは○○をする」と指定されていたのだが、このところの世情ではその通りに実施するのは難しいので、同じ効果が得られる他の方法でやりたいと担当の行政官に相談したのだが「○○をするときめられている」ととりつく島もない。
本人も内心ではそれでもいいかなと思っているようでも、頑として受付けない。理由は「そう決まっているから」だ。話を知った外部の人達は「それは他の方法の方がいいね」と言うが、折れる気配は全くなく、変更は認められない。
この行政官には全く非はなく正しいから、それ以上話は進まないが、せめてこの決まりに「○○等をする」と魔法の1字が入っていたらお互いどんなに楽だっただろうと、しみじみ思った秋の一日。
(カナダ友好協会代表)
