コラム・エッセイ
叱られて
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子この春は二人揃って長寿の祝いを受けた、わがつれ合い。昨年の降って湧いた大病もすっかり癒え、週に一度ずつのお勤めと遠隔地の生徒さんへのオンラインレッスンで過ごし、悠々自適を実写したような日々を重ねている。
チームワークの仕事でなく、しかも高齢者への有り余るほどの気遣いを受け、周囲に迷惑を及ぼす行動もないようだからトラブルもなく、ストレスもかからない毎日を送っているものと思っていた。
そんなつれ合いから「今日は叱られた」と、ぽつんと一言報告があった。
金融機関の若い女性担当者から叱られたというのだ。「えっ!何があったの?」と驚く。お客の、しかも実の祖父ほどの年寄りを若い店員が叱るなどあるのだろうか。何をしでかしたのだろう。
「実はATMカードを失くして」「その差し止めのお願いをしようと電話した」。散々捜しても見つからないことを説明している中で「私もこの年で、そろそろ認知症なのだな」と冗談を言ったその途端「○○さん!そんな言葉を不用意に使わないでください!」と叱責の声が受話器から響いてきたそうだ。
てっきり自分の冗談に合わせた笑いと、まだそんなことないでしょうと軽い否定の言葉が返ってくるだろうと予想していたつれ合いには、大ショックだったという。
なぜここで笑いでなくお叱りが来るのか?一瞬耳を疑ったそうだが、受話器から続いた声が納得させてくれた。
「私たちは金融機関の人間ですから、そのような症状のある方をお客にすることは出来なくなるんです」。そうだ、そうだった。この電話は二人が通話しているだけではない。外部との通話は全て録音されている。あれは単なる警告ではなく、実際に録音されているのだ。だからそれを聞いた関係部門からの指摘があればこの担当者が言った通りになることも冗談ではないのだろう。
そのことに思い当たったわがつれ合い、言葉を改め平謝りして自分の軽率さを恥じ詫びたらしいが、普段は声も笑顔も可愛いというその担当者が語気をを変え、冗談言うんじゃないよと厳しくたしなめたのは、その軽率な一言が自分にもお客にも重大な結果を招くことが分かっていたからだろう。
厳しい空気はその時限りで後は穏やかに話は進み、次の日にはカード再発行に必要な書類が届くという驚く速さでことが進み、担当女性の優秀さを再認識できたのだが、この話を聞いて、自分の係わる職場でもこんな心構えが必要な場面があるのではという気がした。
笑いたくても笑って済ませられないことが起こったときは、たとえ気まずい空気が流れても敢えて厳しく叱ることが必要。そのためには、それが今かどうかを一瞬に判断できる基準が自分の中になければならない。
これは私もただ年を重ねていてはいけないと、電話の向こうからわがつれ合いを叱ってくれたそのお嬢さんにいつかお会いしたいものだと思っている。
(カナダ友好協会代表)
