コラム・エッセイ
つながり続ける
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子一瞬またかと思った。
年明けの大地と人心を揺さぶった能登大地震の記憶生々しい中で、ビルは揺れ山が崩れる映像は、南海トラフ大揺れがとうとう来たのかと映像に目を見張ったが、場所は台湾。
器物が落下散乱する室内、逃げまどう住民、崩れるビル、落石に塞がれる道路。世界のどこでも大地震直後には報じられる同じ光景が流れ続け、救出への安堵と、がれきの中で救いを待つ命への思いが積重なってゆくことが繰り返される。そしてこの後、気の遠くなるほどに長く過酷な復興への道のりが続く。
阪神淡路、東日本、熊本、そして生々しい正月元旦の能登大地震と、名のついたものに限らず、地震に限らず、災害の度に被災者が受ける苦難を和らげ、復旧復興を果たして行くことが社会の課題となる。
生き残り命を保った被災者にとって支えになるのは、罹災した現場での救難、復興への物心両面の様々な支援で、食料・医療支援、復旧作業へのボランティア支援等々、公的責務を超えた自発的な善意の支援の力が、たとえ必要十分でなくとも、提供されることに嬉しく感動する。
かなり前のことだが、集中豪雨で大きな被害があった福井市で災害復旧の進む中、膨大な災害廃棄物の処理に現地が途方に暮れていたところ、神戸市から大規模なゴミ収集トラック部隊が応援に駆けつけ、予想外の速さで処理できたことが災害支援の美談として大きく報じられた。
伝え聞くと、この心熱くなる支援はかつて阪神淡路大震災の折、福井市がいち早く積極的に支援部隊を派遣し、活動してくれたことへの神戸市の市民・行政挙げての感謝の気持ちの表れだったとのことで、更に辿ると、戦後まもなくの福井大地震で援助の手を差し伸べてくれた尼崎・神戸地区への恩返しの思いからだったという。
災害は忌まわしく、被災はないに越したことはない。だが、災害を契機として発揮された善意と行動、それに対する感謝の気持ちが途絶えることなく人の心に残り、受け継がれ、立場を変えて発揮されることは、係わる者にも知る者にも温かく清々しく残る。相互信頼に基づく支援の力ということでは、日本と台湾も国境を越え、時間を超えた強い絆が結ばれているようだ。
東日本大震災の折も、諸国から寄せられた支援で最も早く大きかったのは台湾からのものだった。支援の緩急・大小に上下の評差をつけるのは許されないことだが、これに限らず、大災害に際しては互いに政治の枠を超えた官民の支援活動が展開されていて、これも話をたどれば、かつて台湾で大震災があったときに日本から寄せられた支援を記憶していた台湾国民の感謝の表現だという。
今、能登大地震の生々しい現実を抱えた日本社会だが、能登復興・東北復興と思いを同じくして、台湾震災被害へも関心を注ぎ、できる限りの支援を考えてゆきたいものだと思う。
(カナダ友好協会代表)
