コラム・エッセイ
孤独、孤立問題のこと
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子少子高齢化問題を抱えその対策が国家的課題となっている中、円安物価高で大企業は空前の高収益を高らかに報告しているが、一方、こちら一般庶民には恩恵感は一向に湧かず、明日の希望の灯の見え難い生活が繰り返されている。
こんな世相に合わせたようにこのところ繰り返し報じられ、目にするのが、孤独・孤立の文字と、それにまつわる数々の事件・出来事。孤独、ひとりぼっち。孤立、周囲からの隔絶。言葉の意味だけを考えれば、人間社会の中で孤独・孤立という状態は良くない、避けたいもののように思える。
しかし、悪い事なのだろうか、あってはならないことなのだろうか。多くの人の中で、多くの人とつながっていることが善で、一人でいることは悪なのだろうか。出来るだけ冷静に考えると、人は一生ずっと孤独で孤立している。
「男はつらいよ」で渥美清さん演ずるフーテンの寅さんのせりふを借りれば「俺とおまえは別の人間」なのだ。自分の心の中は相手には分からないし、人が食事をしても自分の空腹が満たされるわけではない。
人は本来孤独・孤立なのだが、それが問題なのではなく、それに伴う不安と恐怖が問題なのだ。不安や恐怖のない孤独・孤立は問題ではない。長期の受験勉強に取組む受験生、悟りを求めて山中の洞窟で瞑想を続ける修行僧。生業もなく、世に出るあてもない文章を何年も書き続けている小説家志望者。
世人からみれば孤独・孤立そのもののように思える状態を続けられるのは、勉強、瞑想、執筆の行動をしているからだ。行動しているとき不安は感じない。行動することは状態を変えることで、孤独を意識した不安な状態を、行動することで変化させている。
学校で職場で、語り、課題と取組み、体を動かし考えるという行動を続けることによって、孤独・孤立の不安を生じることなく状態を変化させて次の行動に移る。行動する時間に不安は生じない。行動を止めることで孤独・孤立状態になり不安が生じる。孤独・孤立を不安につなげないためには行動すること、脳細胞と筋肉を動かすことが必要だが、行動の継続には目標がいる。
自分にとって望ましい状態に変化するためにどんな行動をすればいいのか。それを決めるものは情報。自分の周囲に満ちあふれている雑多な情報の中から自分が選んだ情報によって行動の方向が決まる。
どんな情報があるか、どの情報を選ぶかそれは神の采配(運)かもしれないが、ともかくも行動することが孤独・孤立の不安状態から脱するために必要・有用だということを支援事業実践の中で実感している。
この経験を通じて思うことは、孤独・孤立対策を社会課題とするなら、それは人を一人にさせない方法や場を提供することに注力するのでなく、人が自ら行動するための情報が得られる場や方法を用意することだと思う。それが「居場所」行動のための情報が得られる場所なのだと思う。
(カナダ友好協会代表)
