コラム・エッセイ
老いの効能
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子サミュエル・ウルマンという人の作品に「youth」という詩がある。
日本では岡田義夫さんの訳で「青春」あるいは「青春の詩」という題で広まった。「青春とは人生のある期間を言うのではなく 心の様相を言うのだ」と始まり、「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときにはじめて老いが来る」と、思わずギクリとする言葉が続き、若くあることを賛美し、年を重ねても老いないことを目指す気持ちを鼓舞する言葉で埋められていて、すがすがしく高揚した気分になる。
作者のウルマンさんがどんな人だったのか知らないが、全編を流れる若さ、青春への賛美は目にする人に感動を与え、共感を呼ぶだろう。
この詩は作者の70代の作品だそうで、それだけに老齢期に向かう人への励ましの効果を期待するのか、経営者が自社の永年勤続社員や定年者にこの詩を綴った記念盾を贈ったという話も聞いた。でもこの詩、少しだけ受け入れを渋りたいところがある。
全編を貫くのは精神の若さ、青春の賛美なのだが、どう励まされても現実には体力も気力も衰えている自分を否定されているように感じ、やはり自分はこれではだめだよねと思い知らされるのだ。現実に若くない自分に、若さを失うな、若さを保つように努力しろと言い続けるのはおそらく誰にもしんどいことだ。
年取って体力は衰えるのだから、気力だって衰えるのを自覚する。それではだめだと言い聞かせても効力を持続させるのは難しい。人が緊張を持続させられるのはせいぜい15分間くらいらしい。それなら、年老いることに、強がりでなく、いいことはあるのかと思いを巡らせ、気づいたことがある。
この世に生まれ成長する中で、昨日までできなかったことが今日出来るようになる。成長には喜びがある。若いことはいいことだ。喜びの種が満ちている。年を重ねると、昨日まで出来ていたことが今日は出来なくなっている。体力も気力も衰えてゆく老化の寂しさ。年老いることにいいことはないのか。それが、あった。
歩けないほどひどかった腰痛が、リハビリが奏功して歩けるようになった。コロナ感染症で歌う機会がなく声が出なくなっていたのに、練習再開したら元通り歌えるようになった。出来ていたことが出来なくなり、寂しさに包まれていたのに、また出来るようになった。この時感じるのは成長の喜びとは違う、回復のうれしさだ。これを最も実感できるのは病気の時と高齢期。病人や年寄りになって実感できる回復のうれしさ。
病人にはなりたくないが、生きていれば誰でも必ず老人になる。その時に、失った若さを取り戻そうと、萎んだ気持ちを奮い立たせる努力を続けるばかりでなく、若さの中では味わえなかった、老齢期だからこそ実感できる回復のうれしさを生み出すよう、様々な回復を試みてゆけば、年を重ねるのも悪い事ではないなと思えそうな気がしている。
(カナダ友好協会代表)
