コラム・エッセイ
パリの号泣
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子パリ2024オリンピック大会。猛暑の中でも冷房設備のない宿泊所で過ごさなければならなかったと伝えられる選手や観客は大変な思いをしたことだろうと同情するが、想定外の演出の開会式で始まったスポーツの祭典が無事終了したこと(と信じて書いている)を喜びたい。
4年に一度(でないこともあった)のスポーツ競技の世界祭典には、参加する選手にも、派遣する国々にも、準備し迎える側にも観客にも、それぞれの物語があって、抱えきれないほどの自分の物語と一緒に集っているから、競技の経過や結果と共に、物語が織り込まれ、ドラマが演じられ、予期せぬ感動が広まることもある。
とりわけ競技に参加するアスリートにとっては4年に1度のチャンスにほとんど自分の競技人生の全てをかける思いで打ち込んできたものだから、身につけた力の大きさばかりでなく、それを晴れの舞台で思い通りに発揮できるかどうか、不安と緊張に隣り合わせの状態の時間を過ごさなければならないという、その他大勢の見物人には計り知れないストレスにさらされる。
自分の思いと結果とがあまりに食い違うときには、予期せぬ感情の高まりを調節出来なくなることがあることも想像し、理解することは出来る。そうなったとき、自分でも予期せぬ行動が起こるのだろう。
このオリンピックでもそんな想像が当てはまるような出来事があり、報じられたことから、それぞれを巡って「炎上」状態の議論が起こっている。
開会式に先立って起こった代表辞退事件と、大会開始後の試合敗北手放し号泣。それぞれに起こっている議論は、代表辞退には、代表辞退という決着の着け方の是非。
敗北号泣については号泣という感情表現の適否のようだ。代表辞退の方には、何も辞退までさせなくてもという擁護の声も根強いようで、号泣の方は当人の心情を理解し受入れる声が多いのに対して、武道を志す者は結果は泰然と受入れ,毅然とした態度を示して欲しかったという声も混じっている。
この2つ、いずれも代表選手の行動に関するものだが、議論すべき内容は全く異なっている。代表辞退の方は、選手はしてはいけないこと(飲酒喫煙)をした。その行動は許されないものだから、これくらいなら以前にしていた者もあると養護などとんでもないと言える。炎上しても擁護論を広げてはいけないと思う。
号泣の方は「してはいけない」ことではない。同情同感論に対立しているのは「しないほうがよかった」「こうした方が良かった」というアドバイスだから、両論並立で十分で、炎上させる必要は全くないだろう。
お兄ちゃんと一緒にダブル金メダルの再現を願って臨んだ大会で夢は破れたが、それでもお兄ちゃんは強さを証明できたから、次にまた頑張ろう。
(カナダ友好協会代表)
