コラム・エッセイ
老い坂上る
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子立秋とは夏至のことかと思うほどに暑さ厳しい空が続いた8月ももう終わり。
暦の上では秋と便りは書き始めるのだが、春夏冬二升五合(あきないますますはんじょう=商い益々繁盛)の謎かけ言葉の表現をおかしく感じないほど。台風も発生箇所を南の海から日本近海に移して、雨もスコール調で、いよいよ日本も熱帯になったかと思う。
そんな8月は日本にとっては特別な思いが重なる月。日本にとって忘れてはならない日と上皇陛下が唱えられた4つの日のうち3つは8月。6日の広島原爆投下の日、9日の長崎原爆投下の日、そして15日の終戦の日(あと1つは6月23日の沖縄陸上戦闘終結の日)。
忘れられない、忘れてはならない思い出が特定の日に結びついていることは誰にもあることで、その日になると薄れていた思い出が焦点が合ったようにひときわ鮮やかに甦ってくるのを反芻(はんすう)し飲み下すような感触を味わったりするのだが、心地よい感触につながるものは思い出しやすいのに、苦い味わいにつながるものはとかく焦点がぼやけやすくなる。
忘れてはならない4つの日につながる日本人の思い出は総じて苦いものだから、忘れてはならない思いが鈍りがちになっているのは、体験者の数が確実に減っていることばかりでなく、自然の流れとも言えるのだろう。でもやはり忘れてはならない、語り継ぎ思い出し継いでいかなければならないものだと思う。
忘れないということになると身につまされるのは年ごとに気になる記憶力の減退。もともと記憶力にはかなり自信があって、必要な数字は頭の引き出しにあっていつでも取り出せているが、最近気になっているのが人の名前が出てこないこと。
TV画面に現れる人の名を近くにいるつれ合いに尋ねることが多くなっていて、その度に正解が返ってくることに、自分だけが老いの坂を登らされているのかと愕然とすることもあるのだが、記憶力の違いではなく、普段見ている時間が長く、記憶が新しいだけだと白状されて一安心のオチ。
加齢に伴う変化は自覚するしないは様々だろうが、共通しているのは①記憶力減退②集中力低下③日常の些細なことへの怒りのようだ。
先日はつれ合いの友人Iさんから「若者達のやたら語尾を上げた話し方が気に入らない。日本語の乱れだ」との怒りの便りがあり、つれ合いは「同感。自分には歩きながらものを食べることに平気な光景が気に入らない。日本文化の乱れだ」と互いにエールを交わしていた。
2人とも記憶力の低下、集中力の低下には身に覚えがあるのだろう。体はともかく頭はまだまだ元気と思っていても、老いの坂を確実に登っているようだ。
(カナダ友好協会代表)
