コラム・エッセイ
勉学の秋
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子今は、もう冬。一体日本の秋はどこに行ってしまったのか。
行楽の、スポーツの、食欲の、秋の修飾詞が次々と死語になる中で、「いや、これがある」とわがつれ合いが持ち出したのが「勉学の秋」。我が家に集い巣立った生徒たちも今は大学生、高校生、中学生。今も将来を目指し日々勉学に励んでいる(に違いない)。
この話なら関心を持って乗ってくるだろうと独り合点し、K君、Hさん兄妹にラインメールで召集令を発し、3人でランチタイムのおしゃべり会を開いた。
発病以来ほぼ2年半会う機会もないままに過ごすうちにK君は高3受験生。Hさんは中学入学と、面影も話題もすっかり変わり、つれ合い殿は浦島太郎気分に浸っていたらしい。
まずはこの2年半のそれぞれの近況報告。つれ合い殿は病後のリハビリや日常活動の話、K君はまもなくに迫っている受験準備を真剣な面持ちで語る。次にHさんの中学入学後の話に移り、授業で面白くないときもあると言った途端につれ合い殿、にわかに姿勢を正して語り始めたそうだ。
同席していなかった私には言葉の一つ一つは再現できないが、彼の言いたかったこと、言うことは分かっているから、その後の独演会の様子を想像して文字起こししてみよう。
「授業が面白くない?学校は面白いことをするためにだけ行くのではないぞ。それは高校でも同じ」
「ここで質問。学校は何のために行くのだと思う?」と問うつれ合い殿に
「・・・・」当惑する二人
「それは、卒業証書を手に入れるためだ」
「・・・・」
「人と競って勝てる力を身につけるためではない」
「その卒業証書も義務教育の小中学校と高校とでは意味が違う」
「小中学校時代は体も心も成長して社会生活に慣れる時期。そのために必要だと社会が考えた体験を皆がしていることが大事なのだ」
「だから授業も遠足も運動会も生徒会活動も、修学旅行も、いろんなことを体験させる。テストの成績が良いとか、人より速く走れるとかを競うのが大事なのではない。良ければうれしいだろうがね。大事なのは全てを体験すること。この人は中学生に必要な体験をしましたという証明書が中学の卒業証書だ」
「高校は違う。そもそも高校は、私はここで勉強がしたいと希望して願書を出し、入試まで受けて入ったところだから、勉強が面白くて当たり前」
「高校では、今世の中で自分の生活を支え活動してゆくためには、このくらいのことが分かる必要があると考えられたことを身につける。それが出来る人だということを我が校が保証しますというのが高校の卒業証書。卒業証書を持っている人は高校で習うことは分かると信じて採用できるのだ」
「中学の卒業証書は証明書。高校のは保証書。どちらも、手に入れることが一番大切。二人とも、毎日元気に学校に行けよ」
延々続く独演会に辟易退屈しながらランチの皿に向かう二人の姿が目に浮かぶ。皆さん、今日も元気に。
(カナダ友好協会代表)
