コラム・エッセイ
新年の祈り
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子新春恒例の個人行事、新年の願い事。
無病息災元気で長生き、あの人この人仲良く過ごそうは誰しも共通の願いだろうが、誰もがそれぞれ、密かにあるいは万人周知の下に、叶えたい様々な願いを今年も抱きしめていることだろう。
特に大学受験生にとってはこの時期、自分のこれからの道筋を決めることになるかもしれない共通テストの試練の洗礼を受けることで、戦場への出陣を控えた年明けには、自分の望みの結果が得られるようにと、願ったことだろう。
願い事は希望が叶う事への期待ということだが、希望することは期待するだけでは叶わないことは、人類誰もが経験を通じてしっかり分かっている。希望が叶うためには、何をいつまでに成し遂げるのかをはっきりさせて、希望を目標に変え、目標達成のために、何をどうするのか計画を立てて、自ら行動しなければ目標には到達しない。
希望を目標に変え、計画し行動すること、これが、世界平和だろうと、テスト好成績だろうと、資産形成だろうと、願いを実現するためのプロセスだ。ここで大事なことは行動を続けることで、自らの力で道を切り開きながら進み続けるのだから、楽ではない。
目標に向かって進み続ける苦労を努力という。目標となった願い事を叶えるためには、計画を立てて努力して行動すること、そして努力を続けることが必要だ。
だが、努力すれば成功するとは限らないことは、誰でも知っている。「努力は報われる」は世代を問わず聞き慣らされてきた言葉だ。
目標達成のための必死の努力が必ず報われて欲しいと願うのだが、どうやら「努力は報われるとは限らない。報われることもある」のが現実だ。この違いは何なのか。それは必要条件と十分条件の違いということなのだろう。「努力は報われる」は、努力すると成功するのだから、努力することは成功するための十分条件だと言っている。でも実際には努力しても成功しないこともあるのだから、努力することは成功するための必要条件だけど、十分条件ではないのだ。では成功するためには努力して行動することの他に何が必要か。
それは「運」。万全の準備をして受験日を迎えたのに、体調悪くて、思わぬ豪雪で、交通事故で、受験日間違えて、解答欄間違えて、合格できなかった不運。運良く体調良く、天候も交通機関も順調で、受験日や解答欄間違えたりせず受験できたらめでたく合格。努力と運、両方の必要条件満たして合格となる。だが、運は神様の采配に任せるしかない。
人間の自分に出来ることは努力のみ。そしてそれは希望実現のための必要条件なのだから、嫌でも辛くてもし続けるしかない。それでも必要な運がなく実現できなかったらどうすればいいか。運を呼び込むまでやり直し努力し続けること。
やり直しが出来ることが若さの特権なのだから。新しい年の初めに試練に臨むK君の努力が報われることを祈る。
(カナダ友好協会代表)
