コラム・エッセイ
お年玉
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子月が変わって、お年玉は話題にふさわしくないが、数日巻き戻して筆を進める。もうこの年になるとお年玉をいただくこともないし、孫もいないから、身内でお年玉で結ばれる相手もいない。唯一現実味のあるのがお年玉付き年賀葉書。
小学生の頃から、当選番号抽選日(昔は成人の日1月15日だったと思う)には当選番号を確認し、当たり葉書を見つけるのが本当にうれしかった。長じて、出す数も受け取る数も多くなってからは、下端に印刷されている抽選番号の下一桁の数字毎に選り分け、先ず下2桁、最下等の切手シートの当選葉書を探して喜び、次に3桁の一つ上の当選葉書を探すが、3桁になるとめったに当たらなくて、これまでの人生でまだ2度しか経験はない。
2等以上になると組番号まで合わなくてはならず、もう当たることなど考えられないが、それでももしやを空想しながら、1等、特等まで桁を上げながら見比べていく。これが本当に楽しいのだ。
最近では組番号は関係なくなっているので、ひたすら右半分の数字だけを追ってゆく。当たり葉書は丁寧にとり分けて差出人を確かめ、あなたからのお年玉いただいたよと、感謝の思いを込めて住所と名前をしげしげと見つめて、近くで過ごした遠い昔を懐かしむ。
こんな思いに浸る当たり番号はなかなか見つからないが、前後の1番違いはなぜか驚くほど沢山あって、1枚ずらして出してくれていたらと悔やんだり、恐らく毎年、差し出すのと同じくらいの時間を当選番号探しに費やしている。
齢を重ね生活環境、交際範囲の変化に合わせて年賀状じまいを宣言する人も身の回りに増えているが、普段会う機会も少なくなっている仲で、年に一度消息を伝え合えるばかりでなく、歳に関わりなくお年玉を手にする喜びを受けるチャンスを作るこの伝統習慣を出来るだけ続けたいものだと、郵便料金値上げを恨めしく思いながらも願っている。
ところで、このお年玉付き年賀葉書に最近異変を感じている。私についてだけの異変だろうとは思うのだが、お年玉がもらえなくなっているのだ。切手シートの2桁の当たり番号は3組だから、100枚に平均3枚当たるのだろう。実際これまで毎年数枚、多い年には7、8枚の当たりがあった。だのに、この2年間、1枚も当たっていない。
毎年受け取る年賀葉書の数は同じではないから当選枚数が違っても不思議ではない。最近は喪中欠礼の知らせも多く、賀状は少なくなっているが、激減しているわけではない。
なのに、なのに、ゼロはないだろう。何かよくないことの前兆か、それとも積もる悪行の報いかと気になった1月後半。
でもその分きっと誰かが例年に倍する数の切手シートを手にしているだろうから、私からのお年玉にしておこう。
来年は数年分まとめてお年玉がいただけることを願いながら。
(カナダ友好協会代表)
