コラム・エッセイ
お米が大変
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子日本のお米が大変なことになっている。高値が続いた昨夏。そのうち実りの秋で新米が出てくれば落着くよと説明されていたのに、新米は実っても一向に値は下がらない。
昨秋の作柄は良かったのに一向に値下りしないのは、米が投機の対象になっているからだと言われ出し、ならばと政府の備蓄米放出となったが、下がる気配はなく、TVコメンテイターからは、実際には不足量は予想以上に大きいのだが、政府は見込み違いを認めないのだと、したり顔の解説もあった。
その正否は分かりようがないが、明らかなのは、実りの秋を過ぎようが、備蓄米放出されようが、お米の値段は上がったままだということだ。変わらぬ高値も、生産者である米作農家の収入増になっているのなら日本の米作農業衰退の流れに少しはブレーキがかかる期待も持てるが、どうもそうではないらしい。
学業のかたわら、お爺さんを助けて米作り作業に励む、私たちの仲間の青年が「米の売上代金だけではやっていけませんよ」と嘆く声は変わらない。「米がなければパンを食べればよい」は通じない。千年以上にわたり守ってきた唯一自給が可能な主食の座を輸入食料に委ねていいのかと、今更ながら問われている気がする。
物質生活の豊かさへの願望と引き換えに主食の自給を放棄した庶民の思いと農政の誤りを思い知らされているのだが、そこにとんでもない(と私には思える)報道があった。新しい米作りを実践しているという農作者の省力米作の紹介だった。
水田不要。畑に直蒔きで田植えもしない。草取りもしない。それでも収穫は十分だから、労力も機械力も遙かに少ない。味もよい。収穫量は示されなかったが、とにかく米作りが誰でも簡単にできるから、このやり方なら心配ないと強調されていた。失敗農政の議員やお役人が聞いたら手を打って喜びそうな話だが、こんなこと感心して報道してよいのだろうかと心配になった。
水田で田植えする米作りは米作り農家が千年以上にわたって、限られた農地で、主食となる米を必要量生産するために毎年の実験を繰り返しながら確立してきた生産方法だ。米の品種改良だけでなく、栽培方法、土作りの工夫を続けてきた結果、このやり方なら同じ土地で毎年同じ品質で必要量が収穫できると受け継いできたものだ。
それを全て否定するようなやり方で大丈夫ですよと言われても、飛びつくわけにはいかないのが当然ではないだろうか。でもこんな話が広まれば「心配ない、心配ない」の声が大きくなり、日本から米が消えてしまいそう。
丁度、日本の財政は国債残高1千兆円を超えて破綻状態でも、実は日本政府にはそれ以上の資産があるから大丈夫財政はびくともしないという「借金問題ない論」が時に語られるのに似ていて、迫り来るお米とお金の危機的状態に、どうなることかと、老い先長くない身にも気がかりな今日この頃。
(カナダ友好協会代表)
