コラム・エッセイ
合同誕生日会
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子2月29日生まれでなければ毎年確実にやって来るこの日。
知人友人、遠方の親戚に交じって、巣立っていった生徒さんからのお祝いメッセージが届くと、普段はお互い消息の交換もなく過ごしていても、覚えてくれていたのだとうれしく、中高生だった頃の表情や声が懐かしく思い出されてくるのが、年明けの年賀状とこの時だ。
メールも携帯もなかった頃は直接の声かけや電話、手紙でのお祝い伝達で、それはうれしいものだったが、携帯スマホ時代の今は時間も場所も気にすることなく簡単にメッセージ交換できるから、本当に便利で、これも長く生きてきた効能かと感じる。その誕生日がやって来た。
さて、自分は何歳だったか。傘寿を迎えてからは「今年でさんじゅううん歳」と自称して紛らわせ、更に一つ加えるのは佐藤愛子さんでなくても「何が目出たい」と言いたくなることもあるが、ここまで生かされてきたお陰で負け戦の時から生成AIが人生相談に応じてくれる時代まで、人類史上類を見ない社会と科学の大変化を生身で体験し、これからどんなことが起こるのかを思うと、齢を重ねることはやはりめでたいことなのだろうとなる。
だが、そろそろ平均余命に近づいていく現実に気持ちが返ると数が一つ増えるこの日の到来はやはり「何が目出たい」に戻ってくる。たぶんこんな思いが我が家の合同誕生日祝いになっている。
人生の6割以上の期間となったわがつれ合いとの二人連れ。意図はしないが同年生まれで、生まれ月はひと月違い。若いうち(と思っているうち)は気にならなかったが、そのひと月間はこちらの方が年上となる。たったひと月間だが年齢の数字が違うのだ。ほんの気持ちの問題で、現実には何の違いもないのだが、何か気になる。かくて、「二人同じ年になってから合同で」という提案になった。
「同い年で誕生日を祝った方が気持ちは落着くな」とつれ合い殿も賛同し「その方が、コスパもタイパもいい」と準備係の娘もよろこんで、数年前からはつれ合い殿の誕生日から少し遅らせた合同誕生日祝いとなっている。
祝い事はいつもここと決めている料亭の一室で、天に召された息子の在りし日の微笑みの写真も飾られたテーブルを囲んで季節にちなんだお品書きの説明をうけながら料理をいただいていると、今年もこうして共に誕生日を迎えられたことを祝う気持ちに浸ってくる。
数年前の自分の誕生日に青天のへきれきの大病に襲われ、自称奇跡的な運の良さで生還を果たしたつれ合い殿も、「今年も無事この日を迎えられた。来年も、その次も」という思いは同じだったようだ。
部屋付きの仲居さんに見送られて店を後にし、いつまでもとの願いは叶わぬまでも、1日1日を健康に過ごし、毎年のこの日を迎えたいと願った。
(カナダ友好協会代表)
