コラム・エッセイ
法と常識
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子少数与党の悲哀を一身に背負うように、楽しいはずの日本で最も楽しくなさそうな渋面で苦しい答弁を続ける日本国宰相。
海の向こうの某大国の独善老人と握手しながら見せた作り笑いでは、自らの不始末の言い訳の場では、笑ってごまかすつもりかとしか受け取ってもらえないだろうから、ここはひたすら苦汁の表情で通すしかない。楽しい日本を実現すべく国民の先頭に立って率いる人がこれでは、楽しい日本作りは大変なことだと大衆に実感させることになったが、新年度事業の予算成立を待っている関係者は気が気でなく、もううんざりの心境だろう。
新入社員に社長が特別に入社祝いを渡したら社規に反するのか、そんなことはどこにも書いてないから問題ないだろう。初当選の議員たちに首相がお祝いを贈ったらどうか。いけないなんて規制法には書いてないし、先人たちもやって来たこと。法にも触れていないこと。違法でないことの何が問題なのというのが、渋面から発せられる言い分らしい。
だが、この問題の本質はこのお小遣いの違法適法の決着をつけることではないことは、渋面のご本人には良く分かっているだろう。新人議員へのお小遣いが法を犯したのかどうか私には分からない。
だが、このお方は「違法ではなくても、しない方が良いこと」更に言うなら「今のこの時期にしてはならないこと」をしたのだ。法治国家では、社会の仕組み(ルール)は法律で定められている。
先ずは法がルールだということを受入れること「遵法」で、受入れないこと、法を無視すること「無法」「脱法」は法治国家で活動する資格はない。受入れた上で、法に反する「違法行為」をすれば罰せられる。罰金や懲役が科せられる。それは嫌だから自分の行為が法に反しない「適法」になるように気をつける。適法なら法で罰せられることはない。
だが、社会のルールは法律だけではない。法律は社会の最小限のルールを定めている。法が「してはいけない」と言っていないことは「しなさい」と言っているのではない。「新人議員に商品券を配ってはいけない」と書いてなくてもそれは「新人議員には商品券を配りなさい」と言っているのではない。
法に「してはいけない」と定められてなくても「しないほうがいい」ことはある。多くの人がそう思うとき、それは法ではないが社会の隠れたルールになる。
これを「常識」という。法に反する「違法行為」は国家に罰せられるが、「反常識行為」は庶民の信頼を失う。社会のリーダーを目指す者には最も手ひどい罰になる。多くの大衆庶民が「そんなことしてはいけない」と思う「庶民の常識」に反する行為をすれば清き一票は逃げてゆく。
このことに一瞬気づき「しまった、まずかった!」という思いが、あの楽しくない苦渋の表情になったのだろう。庶民の常識がどのような判定を下すことになるか、これはしばらく要注意だ。
(カナダ友好協会代表)
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