コラム・エッセイ
三つのうろこ(下)
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子 さて、目から剥がれ落ちた3つめのうろこ。実は落ちた順番は話の順とは違って2番目のこと。子どもたちがまだ幼かった頃のことだから、かなり前のことになる。
その頃親しくしていた人の中に岩国の米軍海兵隊基地所属のロンさんという隊員がいた。まだ20代前半の若いロンさんは毎週末、愛用のバイクに乗って現れ、我が家の学習教室で子どもたちに英会話を教え、一緒に夕食を済ませた後、再び轟音を残しながら夜空の下、基地の宿舎に帰っていった。何事にも積極的で明るい青年で、驚くほど日本語が堪能。時には日本語の文法を私たちに講義し、漢字の書き順まで教えてくれるほどだった。会う度に趣味のこと、家族のこと、暮らし方のこと、文化のこと、互いに遠慮なく語り合い、楽しんでいた。
そのロンさんにある時尋ねたことがあった。「アメリカでは若い人達が日本では考えられないようなとんでもない事件を起こす。かと思えば、身の危険や不利益をものともせず、社会をよくするための活動に献身する若者も多い。なぜアメリカでは人の行動に、良い事と悪い事の幅が極端に広がっているのだろう?」。返事はすぐ返ってきた。「彼らは、良い事をしよう、悪い事をしようとして行動しているのではない。彼らは自分がしたいことをやっているんだ。その結果が周囲に『良い事』、『悪い事』になっているだけだ。だから、良い事をした同じ人が、悪い事を平然とやることもある。何も驚くことではない」ときっぱりと言った。
目からうろこがぱらりと落ちたのを感じた。そうか、そうだったのか。良い事をする人は良い人。悪い事をする人は悪い人。良い人が悪い事をしようと考えるはずがないし、悪い人が良い事を積極的にするはずはない。社会の中で良い行動も悪い行動も際立っているアメリカは日本に比べて何と考え方の極端に違う人達が多いのかと思っていたが、そうではなかった。「したい事をする」という同じ思いの人が日本に比べて多いということで、同じ思いでたまたま違った行動をした結果が周囲には「良い事」「悪い事」になったに過ぎないのだ。
そう思うと、それまでなかなか理解できなかった彼の国の社会の出来事が分りやすくなった。様々な社会環境がアメリカと似てきた日本社会で起こっていることも同じように見ることは出来そうだ。したいことをした結果が社会にとって良いことであって欲しい。教育の重要さがますます大きくなってくる。
(カナダ友好協会代表)
