コラム・エッセイ
健康の条件
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子前回新年のごあいさつをしたと思ったら、もう月末の第4週。今年も早7%過ぎた。去年も年明けから大晦日まで、あっという間に過ぎ去った思いだったが、この分では今年も同じ思いで年の暮れを迎えることになりそうだ。
自分の残り年数を指折り数えて確かめる領域に入っているのに、こんなスピードで時間が過ぎるのに任せていていいのだろうかと不安を感じる一方で、変わらぬスピードで時間が過ぎるのは自分の動きが変わらず続いている証拠。健康状態変化なしのサインだと受け取れば、人生長生き健康第一の我がモットーに適った時間が過ぎているとも思え、まずはめでたい新年のスタートと言えそうだ。
新年のスタートと言えば、実業団ニューイヤー駅伝、箱根駅伝、都道府県対抗女子駅伝、男子駅伝と、日本を代表するランナー達が駆け抜ける駅伝大会が毎週のように開催され、かつては地方駅伝大会のランナーだったことが思い出種のわがつれ合いをテレビ観戦席に座らせる。
走った記憶など片隅にもない私も、その時ばかりはチャンネル権を奪われてお付き合いとなる。信じられないほどのスピードで走り続ける選手の姿は健康がたすきを掛けて競っているようで、自分にはとても出来ないけれど、あんな風に全力で走り続けられるのが健康というのだろうな、いや、走るだけではない。
オータニサンのように、誰にも打てそうにない球を投げたり、そんな球を軽々とホームランするすごい体力も健康の象徴。健康に包まれた姿は眩しい。健康長生き万歳、と思ったが、我が身を振り返ると、一歩も走れるわけではない。バットを振ることも、ボールを投げることも出来ない。健康第一を唱える私にとって、健康とは何だろうと思う。
そんな時、いつも横から口を挟み一言講釈たれるのが習わしのわがつれ合い。
「いつまでもあんなに走れて、投げて打てれば健康の極み。それ以上望むことはない。健康であることを示すにはそれで十分。健康の十分条件だな」
「で、健康であると言えるための必要条件は?」
「そうだな。自分の状態を変えようと行動するために必要な最低限の体力を持っていることだというのが私の考え」
「その、最低限の体力は?」
「3つあると思う。一つは自分で呼吸できること。二つ目は自分で食事が出来る(咀嚼して消化できる)こと」
「で、三つ目は?」
「自分でトイレに行けること」
「これ以外にも自分で出来ればいいことは色々ある。もちろん出来ることが沢山あるほどいいが、それは、十分条件の方になる」
そう断言されると、異論反論いくらも出したくなるが、あえて反論は控えて、今日のところは納得しておこう。
確かにこの三つ、どれが欠けても健康とは言えない。皆さんにとっての必要条件は?これ、年頭の宿題。
(カナダ友好協会代表)
