コラム・エッセイ
過ぎゆく時代
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子はしだのりひこさんが亡くなった。「風」「花嫁」など、美しい名品を残しての旅立ちだった。このところ、名前を聞くことも公開の姿を見ることもほとんどなかったが、晩年はパーキンソン病を患い、長く病に苦しめられていたようだ。今夏の平尾昌晃さんといい、惜しい才能がまた遠くへ行ってしまった。
ここ数年、名優、アーティストたちの訃報に接することが多くなった。しかもその多くが自分と同世代に属する人たちで、その人たちの作品、パフォーマンスを年代に応じて親しんできただけに、寂しさもひとしおの感があるとともに、自分もそろそろ晩秋を迎えたことを実感させられたりする。
はしださんの活動の場はめまぐるしく変わったので、その一つ一つには、はっきりした記憶はないが、まず思い浮かぶのは“ザ・フォーク・クルセダーズ”。そして“クルセダーズ”と言えば「帰って来たヨッパライ」。その奇妙きてれつな音声に、「何、これ!」と、歌詞やメロディーよりも音そのものが驚きだった。
テープレコーダーを早送りすればそういう音声になることは知っていたが、それを商品にするのは初めてだったのではないだろうか。はしださんは、この時はメンバーではなかったようだが、私の記憶の中でははしだのりひことクルセダーズは一体になっている。
次に驚いたのはフォークソング時代の波に乗って絶好調に見えた時期、結成後一年であっさりグループを解散したことだった。
それは結成時からの約束事だったということは後で知ったが、自分の感覚では、芸能人は下積み時代を経て人気を勝ち取った後は、いい時をできるだけ長く保てるよう願うものだと思っていたので、潔い爽やかさを感じるよりも、なぜ、という驚きの方が強かった。何か意見の対立でもあったのだろうかと、余計な心配もしたものだった。
その後はグループの結成と解散を繰り返し、“はしだのりひことシューベルツ”で「風」を、“はしだのりひことクライマックス”では「花嫁」とヒット曲を世に送った。
これらの作詞はともにクルセダーズのメンバーだった北山修さんなので、昔の仲間との親交は続いていたのだろう。
日本の歌謡音楽界に一つの時代を築いたはしださんが、自分たちの作った時代を、そして今の時代をどのように評価していたかは知らないが、平尾昌晃さんに続いて、それぞれの時代を作った人がまた一人、額縁に収められることになった。
「その、過ぎた時代に敬意を表して、今月のうたごえ喫茶周南の例会では、はしだのりひこさん追悼の『風』をみんなで歌う」と我がつれ合いは静かに語った。
(カナダ友好協会代表)
