コラム・エッセイ
No.54 農村の希望(1)限界集落⑯ 四万十川中流の集落を訪ねて(九)
中須里山通信 形岡 瑛お昼前に雨が止んだので、自転車で下り、道の駅で昼食。古城椎茸研究会の2代目会長吉野清水(きよみ)さんに電話すると、昼からなら来ても良いとの返事だった。宿の奥さんが吉野さんの妹だとのことで、行き方を教えて貰い、四万十川支流の長沢川、烏川沿いを自転車で上がって行った。道路端から山の中腹までシシトウ、茶畑、小さな田んぼ、ビニールハウスなど、隅々まで手が入って美しい景観を成していた。(写真)
古城小学校まで行くとたくさんの車が止まっていた。
傍に小さなお店があった。お酒やタバコ、学用品などを置いている。吉野さんの家を尋ねると、小学校の後ろのちょうど上にある家だとのこと。
吉野さんは1951年生まれ、筆者と同世代だ。吉野さんは居間のテーブルに、朝から収穫したシシトウを山積みにしてパックに詰めながら話しをしてくれた。午後からなら来てもいいというのは、この作業をしている間は家に居るし、話は出来るということだったのだ。
小学校は4年前に休校になった。たくさんの車が止まっているのは、この先のトンネル工事の人が使っているのだという。
壁に野球大会の入場行進の写真が飾ってあった。
「甲子園ですか?」と聞いた。高知県は、高知商業、土佐高校など甲子園の名門校が多いのでもしかして吉野さんが甲子園出場したのかと思ったのだが、
「中学校の県大会だ」とのこと。息子さんが出ているのだ。
息子さんは3人、いま高知市にいるとのことだ。