コラム・エッセイ
No.26 食べたくても食べたくても
ねえ、ちょっと聞いてよ! 予備校講師 長谷純子こんにちは。街路樹考(2)に行く前に6月にしか話題に出来ない、今の私の頭の半分くらいを占めていることについて先に書きますね。
みなさんは食べたくて食べたくて仕方がないのに、絶対に食べられないものってありますか? 私にはあります。それは、食べたいと強く希うのにもう思い出の中にしか存在しない食べ物、実家から200メートルほど離れたところにある光○堂さんのアップルパイです。
みなさんは子どもの頃、ケーキはお好きでしたか? 私は子どもの頃、というか、30歳くらいになるまでケーキの生クリームが苦手でした。甘い物自体は大好きなのに、です。幼い頃、お彼岸には必ず母がおはぎ・牡丹餅を作るために小豆餡を炊いていたのですが、最後に鍋底にこびりついた状態で残った小豆餡を、鍋を抱え込みスプーンでこそげるようにして食べていましたし、中高時代にはベイクドチーズケーキを、ひどい時には週一で自作して食べてもいました。
が、とにかくホイップされた生クリームが苦手で苦手で。母も妹もケーキは大好きだったのに、なぜか私だけ味覚が違うのです。
さてさて。この生クリーム苦手問題が深刻な影響を及ぼすのが子どもの頃のお誕生会です。小学生になり、お友達から「お誕生会開くから来てね〜」とお呼ばれするようになります。子どもの社交の代表ですね。お友達のお誕生会で出るケーキは持ち帰れば母が食べてくれるので問題はありません。母はケーキが大好物だったので、お持ち帰りも大歓迎だったと思います。
問題なのは、お誕生会に招待されたら、私のお誕生会にお友達をご招待しなければならない、ということです。お誕生会にはホールケーキが必須です。年齢の数だけ立てたろうそくを吹き消した後、ホールケーキをカットする瞬間に上がる参加者の「うわぁ」という羨望と期待に満ちた声。これがお誕生会の醍醐味です。でも、私には食べられるケーキがない! ちなみにチョコクリームもダメです。抹茶クリームなどまだない時代ですから、大半のケーキは、私が食べられないものだったのです。
この小学生時代の私の救世主となったのが光○堂のアップルパイでした。表面の焼き色が(多分)ジャムの光沢で黄金色につやつやと照り輝き、特に縁がサクッという食感軽やかなパイ生地に、中には微かな酸味と甘すぎないリンゴのフィリングがたっぷり詰まっています。生クリームもチョコクリームもありません。これが、当時の私が唯一食べられるケーキで、私のお誕生会ではこのアップルパイにろうそくを立てていました。絵面的にはちょっと違和感がありますが、おいしければOKです。
このアップルパイが好きすぎて、学年が上がるにつれてアップルパイの一人あたりの割り当て拡大のために、小賢しくもお招きするお友達の数を厳選していくようになります。自分の食欲に忠実なのはこの頃からなんですね。もちろん、お誕生会以外でも、臨時収入が入れば、それを握って光○堂さんにアップルパイひとつだけを買いに走ったものでした。
今でもアップルパイをショーケースで見かけると、つい買ってしまうのですが、子どもの頃に食べたアップルパイのほうがおいしかった気がして、「これじゃない感」ばかりが残ります。自分の誕生月である6月が近づいてくると、このアップルパイが無性に食べたくなるのですが、お店もご子息に代替わりし、品揃えが一新され、アップルパイは見なくなりました。どんなに食べたいと恋焦がれても「あの」アップルパイはもう絶対に味わうことのできない、私の記憶の中にしか存在しないものになってしまったのでした。
