コラム・エッセイ
長月(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長) 馬追虫の髭のそよろに来る秋は
まなこを閉じて想ひ見るべし
秋が来るといつも思い浮かべる歌です。長塚節の歌集『初秋の歌』第5首目。馬追虫はその鳴き声からスイッチョとも呼ばれます。長い髭を動かしながら、そろりとゆるやかにやってきます。子どもの頃から親しんできた馬追虫。節にとって写生しなくても自然とその調べが生まれたのでしょう。瞑想にふける姿までもが見えるようです。
37年の生涯。29歳の作です。
節は明治12年(1879)茨城県国生村生まれ。俳句、短歌の革新運動を進めた正岡子規の門に入ります。子規のまわりには、俳人の高浜虚子や河東碧悟桐、歌人の伊藤左千夫、長塚節、画家の浅井忠、中村不折らが集まり、句会や歌会、文学や美術談義が盛んでした。大学予備門(東京帝国大学の前身)以来の友人夏目漱石や森鷗外らも出入りしています。節は明治33年(1900)ここの根岸短歌会に参加、伊藤左千夫を知ります。左千夫はおおらかで情熱家、節は繊細で神経質、作風も左千夫の「叫び」に対して節は「冴え」と好対照です。
牛飼が歌よむ時に世のなかの
新しき歌大いにおこる
『左千夫歌集』の巻頭を飾る代表歌です。幕末の元治元年(1864)上総国(千葉県)生まれ。牛飼は牛乳搾乳業をしていた左千夫自身で、旧派和歌からの自立と歌の新風を宣言した一首です。左千夫の門下からは島木赤彦、斎藤茂吉、中村憲吉、釈迢空らを輩出。「アララギ」一門です。
写生文を提唱した子規の影響を受けた左千夫は『野菊の墓』、節は『土』を書きます。明治末期の雰囲気を伝えた有名な小説。後に映画や舞台にもなりました。『野菊の墓』は政夫と民子のほのかで切ない恋心を、『土』は農民の厳しい生活を描き、読んでいて胸が詰まりました。『土』が朝日新聞に連載された明治43年は私の父が生まれた年。当時は旧制中学校へ上がる一部の人を除いて大半は尋常小学校を出ると奉公人として働きました。そんな時代です。
民俗学者、国文学者として活躍した折口信夫は『土』に解説を寄せています。彼の詩人、歌人としての号が釈迢空で次の歌は高校の国語の教科書で習いました。一人で山歩きを楽しんでいた私には情景が立ち上がりました。
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。
この山道を行きし人あり
大正10年壱岐を旅した時の一首と言われます。秋が過ぎ行く中で静けさと人懐かしさ、孤独感を覚えます。
