2026年07月17日(金)

コラム・エッセイ

神無月(一)

随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)

 秋もたけなわ。空気が澄んできて瀬戸内の島々に沈む夕日が美しいです。芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋。秋に係る形容詞に事欠きません。それほどに好い季節。コロナ禍においても様々な行事が動き始めました。新聞記事の見出しも「3年ぶりに開催」の文字が躍ります。

 昨年7月24日に設立した児玉神社遷座百年奉賛会の活動も大詰めを迎えました。今日13日には神社参道に児玉源太郎の生涯を子どもにもわかるように紹介した大きな横長の看板が登場しました。「児玉源太郎さんはどんな人だったのでしょう」と優しく語りかけています。22日に源太郎ゆかりの地をめぐる歴史探訪、「台湾を築いた明治の日本人」著者の渡辺利夫さん(拓殖大学顧問)を招いての講演会、23日には児玉神社で遷座百年奉祝祭が相次ぎ、社殿改修など一連の記念行事は最高潮に達します。

 今から百年前の大正11年、地元の有志が徳山の港を開き、児玉源太郎の御霊を遷座して児玉神社を建立しました。町への熱い思いがどれほどであったか、想像できます。強い思いが町を動かします。この町を良くしたい、との一途な思いです。歴史を見つめ、歴史から学ぶことを先人たちは大切にしてきました。

 奉賛会の活動の折々、先人たちの苦労とともに明治の近代化にいのちをかけた児玉源太郎の生涯に思いを馳せました。幕末に生まれ、幼くして父と死別、家の断絶と再興、17歳で戊辰戦争に出陣、明治に入っては陸軍の要職を兼ねて台湾総督、日露戦争時の総参謀長、政治の世界でも内務大臣、文部大臣をこなし、伊藤博文の後の総理大臣候補にまで名が挙がりました。ふるさとに児玉文庫を開庫したのも功績大。

 日本の近代化のために全身全霊を捧げた人生でした。日露戦争が終わった明治38年、長男の秀雄に一つの句を残しました。

   長(たけ)すぎて僕の体に秋の風

 長年の辛労辛苦に体が堪えられなかったのでしょうか。翌年病に倒れて55年の生涯を閉じました。源太郎のふるさとに顕彰会が発足したのは平成28年6月9日。没後110年の歳月が流れていました。

 翌年から周南文化協会の協力で「藤園忌」俳句や茶会を始め、トヨタカローラ山口の支援でDVD「児玉源太郎 未来を築く」(全3巻)も製作、次世代への継承に努めています。徳機の寄贈によって周南市が平成27年に整備した「生誕の地」で憩う市民の姿に源太郎も微笑みかけているようです。

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