コラム・エッセイ
師走(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)令和4年も残り十日。年の暮を実感します。年惜しむ、という言葉に深い感慨さえ覚えます。道行く人々は「よいお年を」と挨拶するのが習わしです。どのような時が流れたのでしょう。長く感じるか、それとも短く感じるかは人それぞれです。心の有り様一つで受け止め方は変わります。
ごく平凡に映る日常を鮮やかに描く、脚本家の向田邦子のエッセイに昭和の風景を思い起こします。
東京生まれの彼女は映画雑誌の編集記者を経て放送作家に。「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」などの代表作を書き、昭和55年には短編小説「花の名前」などで直木賞を受賞。作家活動に入ったばかりの翌年8月飛行機事故で急逝、まだ51歳の若さでした。昨年が没後40年。第一エッセイ集「父の詫び状」をはじめ、「向田邦子ベスト・エッセイ」など数々の著作が読み継がれました。たくましく、強く、そして軽やかな生き方から紡ぎ出された文章からは家族の風景、食卓の情景、親子の情愛が立ち上がってきます。
昭和4年生まれの彼女は大正から昭和にかけて生きた私たちの親とほぼ同世代です。戦争の悲惨さ、敗戦のみじめさを体験した国民は歯を食いしばって戦後の復興を成し遂げました。私たちが子どもの頃を過ごした昭和30年代はテレビが普及し始め、34年の皇太子殿下と正田美智子さまのご成婚、39年の東京オリンピック開催など高度経済成長とともに世の中は活気に満ちていました。テレビは月光仮面から力道山、栃錦と若乃花を映し出していました。
わが家は光市で小さな履物店を構えていました。物がない時代で品物を置けば次から次に売れていきます。米や醤油、酒、塩や煙草、衣料品や食料品、雑貨、魚や肉、紙文具などを扱う店が軒を並べて通りは大賑わい。とくに年の暮は正月準備で忙しく、新しい年を迎える喜びが暮らしに張りを与えて町中に威勢の良い掛け声が飛び交っていました。
掛売もしていて盆と暮の節季払いも珍しくありません。八百屋さんなどは通い帳に付け込んでもらいました。人が人と繋がり、助け合う信用商売です。晦日や大晦日も夜遅くまで電球を点して働きました。年越しそばで一年の無事を喜び、枕元に新しい下駄を揃えて床に就きました。
向田邦子の作品に触れながら昭和という、私たちには懐かしい時代が鮮やかによみがえります。貧しいけれども明るい時代でした。
