コラム・エッセイ
睦月(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)20日の「大寒」を過ぎて一段と寒さが厳しくなりました。寒の水を利用しての酒、味噌、醤油の仕込みも昔から行われてきました。冬は鍛錬の季節。身が引き締まります。
きっぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった
(中略)
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
高村光太郎の「冬が来た」の1節。この詩は「刃物のやうな冬が来た」で結ばれます。心身を引き締めて人生に立ち向かうという強い意志を感じます。寒さに肌をさらして自らを奮い立たせたのでしょう。
悩みながら人生行路をさまよう青春時代。この詩はそんな若者の心をつかみます。夏目漱石の名作「三四郎」ではその心境を迷える小羊と表現していて読みながら共感した覚えがあります。
10代から20代にかけては人生の大きな転機。経験が少ない中で自分を生かす道がどこにあるのか模索します。家族や親戚、恩師や友人の影響、読んだ本や映画、テレビドラマの影響を受けて進路や職業を考える人が多いでしょう。実際は職業についてみて初めて見えてきます。
私は新聞記者の道を選んで警察や市役所を担当、市井に生きる様々な人も取材してきました。国民体育大会や甲子園での高校野球、駅伝やマラソンなどスポーツの取材も楽しい思い出です。人物を取材して人物を的確に描くのが難しいと思いました。記者10年にして一人前と言われるゆえんです。
10年の経験を積んだあと、徳山市文化会館(現周南市文化会館)の開館にあわせて劇場人生の一歩を踏み出しました。以来、足掛け39年。劇場と苦楽を共にし、素晴らしき仲間にも恵まれて豊かな時を重ねました。人との出会いが人生の財産です。劇場を後にして今は周南文化協会、児玉源太郎顕彰会、山口県文化連盟と関わる中でまた新たな出会いを楽しんでいます。
齢を重ねて流れゆく時をしみじみと味わうのも良きことかなと感じます。中原中也の詩「冬の長門峡」が心にしみます。
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。
(中略)
やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
あゝ!―そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
