コラム・エッセイ
皐月(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)若葉がその色を濃くします。「美しき五月」の到来。日光に躍る若葉の美しさは格別です。木々が芽吹いて新緑を装う中ですみれ、ふじ、あやめと紫の花が咲いて季節は夏に向かいます。植物や動物などすべてのいのちが輝きます。
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
草田男は父が領事をしていた中国厦門で明治34年(1901)に生まれ、3歳から松山で暮らしています。昭和12年長女、14年次女誕生。若い父の感慨を一句に。「万緑」はこの句で初めて用いた季語で、一つの秀句が夏の季語を定着させました。夏の緑と生え始めた真っ白い歯の対比が際立ちます。夏の緑にはやや早いですが私の中では新緑として捉えています。彼の作品では昭和11年頃に詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」が有名です。
5月2日は八十八夜。静岡や宇治(京都)、八女(福岡)といった茶所は茶摘みが最盛期を迎えます。山口県内でも宇部市の小野、周南市の高瀬、岩国市の広瀬などに茶畑が広がります。「八十八夜の別れ霜」。春の最後の霜をこのように言って夏が近づいてきたことを知らせます。店頭の「新茶入荷」の張り紙はいかにも清々しいです。
点心はまづしけれども新茶かな 芥川龍之介
茶請けの菓子は粗末でも香しい新茶の味わいは何とも言えません。新しいいのちが吹き込まれるような心地さえします。
萩の町はこの頃、夏みかんの花が咲きます。城下町の白壁や武家屋敷の土塀からのぞく夏みかんは風情があります。白い小さな花から甘い香りが漂って町中を包みます。
江戸時代中頃、長門の青海島に珍しい果物が漂着し、島の娘西本於長が拾ってその種子を蒔いたのが夏みかんの始まり。やがて萩の藩士たちが裏庭などに栽培し、明治維新で禄を失った士族を窮乏から救おうと旧藩士の小幡高政(1817〜1906年)が普及させました。正式には夏橙。
夏蜜柑いづこも遠く思はるる 永田耕衣
耕衣は草田男より1年早く兵庫県加古川に生まれた俳人。詩人の大岡信や加藤郁乎らとも交友。みかんを口にしながら昔日の思いがあふれます。橙としての思い出かもしれません。
あなたの「美しき五月」はどのような思い出につながるのでしょう。
