コラム・エッセイ
水無月(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)季節がめぐって一年。この連載が始まったのは昨年7月です。隔週木曜日掲載の随想も25回を数えます。また齢を一つ重ねました。初夏の6月は梅雨の時季ながら、緑が濃くなって雨に濡れる紫陽花や、「麦の秋」と言って収穫期を迎えて黄金色に熟れた麦畑など印象深い季節です。
縁側に座って空を見上げると柿の葉がそよそよと揺れています。「そういえば父も籐椅子に腰かけてよく庭を眺めていたなあ」。そんなことを思い起こしてふと歌が出てきました。
昼下がり柿の葉揺れてまどろみぬ
父の座りし籐椅子ありて
初めて詠んだ短歌を読売歌壇に投稿すると、歌人の栗木京子さんが選んでくださいました。平成26年7月8日の読売新聞に掲載された朝のことを鮮明に覚えています。父が旅立って14年目の夏の日のことです。新聞記者になって書いた記事が初めて紙面を飾った日の喜びと似ていました。
その頃、たまたま出会った人とお茶をしていて不思議な感覚を抱きました。いつもは幾人かでお話しをしているのに何だか違う空気を感じました。
どことなく遠慮がちにて座を占める
二人だけでは初めてのカフェ
同じ年の7月21日の毎日歌壇に掲載されました。選者の米川千嘉子さんが採ってくださいました。驚いたのは本人です。いずれも初めて投稿して全国紙に掲載されるとは夢のようでした。しばらくは歌を詠んではがきを投函していましたが、翌年1月12日の読売歌壇に載ったのが最後になりました。その後も令和2年8月まで歌を作ってノートに書きつけてきました。その数7百首余り。しかし投稿することはありません。作為が走って歌が立ち上がっていないのです。ある感慨が湧き起こった時、言葉にのせて歌が生まれるように思います。
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心 啄木
岩手に生まれ、仕事を求めて北海道へ、東京へと遍歴の旅を続けた石川啄木は赤貧の中、たくさんの歌を残しました。旧制盛岡中学校(現・盛岡第一高校)で学んだ啄木を彷彿とさせる一首。齢を重ねてこの歌は若き日の自分に戻れるようでよく口ずさみます。経験を積んだからこそ分かることがあります。十五の心を失わないでいればどのような歌が生まれるのでしょう。
73歳の夏。歌の旅は続きます。
