コラム・エッセイ
再び 霜月(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)秋が深まります。紅葉も北から南に、山から里に。岐山通の銀杏も黄色く染まってきました。
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
明治40年(1907)発行の音楽教科書『中等教育唱歌集』に掲載された「旅愁」の一節。百年以上経た今でも口ずさみます。昭和5年(1930)刊行した林芙美子の代表作『放浪記』で彼女は冒頭に「私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった」と、この歌詞を引用して「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」と書き出しています。
作詞した犬童球渓(本名・信蔵)は明治17年(1884)熊本県人吉市出身。苦学して東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業、明治39年から41年まで新潟高等女学校で教えました。音楽でも言葉を大切にしていた球渓は望郷の念を抱いて、アメリカの作曲家オードウェイの原曲「夢にも見る家庭と母」にこの歌詞をあてはめました。明治の音楽教育初期の頃は作品が少なく外国の曲に日本の歌詞を載せていました。
伊予出身の行商人の父と、桜島の温泉宿の娘を母とした芙美子は下関で生まれながら放浪の人生を、農家に生まれた球渓も故郷を離れて東京で学んだあとは兵庫県の旧制中学校から新潟高女へと、わびしい思いで過ごしています。秋の夕暮れはどことなく寂しさが募ります。誰もが故郷を後にして「夢路にたどるは故郷の家路」を思い起こしたことでしょう。この歌がなおさらその思いを強くしたかもしれません。
文部省唱歌でとくに人気が高いのは「紅葉」。高野辰之作詞、岡野貞一作曲。明治44年の『尋常小学唱歌』で登場して今も歌い継がれています。
秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様
信州出身の高野が東京を行き来する折、信越本線の横川と軽井沢辺りの風景を詠んだといわれます。鮮やかな紅葉の情景が浮かびます。追いかけるように歌って輪唱した小学校の記憶がよみがえります。「故郷」「朧月夜」も高野&岡野の黄金コンビの作品です。
3日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という日本国憲法に沿って昭和23年制定された国民の祝日です。周南文化協会の市民芸術文化祭が文化会館と美術博物館で開幕します。ゆったりと過ぎ行く中で秋の情趣をお楽しみください。
