コラム・エッセイ
再び 如月(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)寒くなったり暖かくなったり、寒暖を繰り返して春はやってきます。4日の「立春」を過ぎると光が幾分和らいできました。目覚めて朝の光に春を感じることがありますが、外に出ると風はまだ冷たいです。
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
「早春賦」の一節を自然と口ずさみます。この歌にふさわしい季節です。大分県臼杵市出身の吉丸一昌が東京音楽学校(現・東京芸術大学)教授の時、夏期講習の講師として滞在した長野県安曇野地方の風景を思い描いて作詞、同校在学中の中田章が作曲しました。大正2年(1913)に発表されるとたちまち女学生の心をつかんで全国に広がり、110年余にわたり歌い継がれてきました。美しい詩を生かした曲がつけられて歌は動き始めます。万葉集にもこの季節を上手く表現している一首があります。
いはばしる垂水の上のさわらびの
萌え出づる春になりにけるかも
天智天皇の第7皇子、志貴皇子の歌。作者は奈良朝最後の光仁天皇の父にあたります。「懽びの御歌」と題詞にあるとおり、待ちかねた春がめぐってきたことへの喜びがあふれています。岩の上を流れる滝。ほとりには早蕨が芽吹いています。春の生命をそこに見て「春がやってきたのだなあ」と感動したのです。志貴皇子は歌人として知られ、万葉集に清澄な調べの歌を6首残しています。
「余寒」「春寒し」から「春浅し」「春めく」などと春のきざしを的確に捉えた言葉に驚きます。蝋梅、梅が咲いて蕗の薹や独活、水菜、山菜も出まわります。冬に力を蓄えて芽吹く草木。冬の厳しさに耐えて春を待ち焦がれる私たちも同じです。前途は暗く、胸のふさがる時がありました。幾度となく人生に迷い、つまずいたりもしました。それでも一歩踏み出して生きてきました。
「いつでも私は自分の出発した時と同じように、生を肯定しようとする心に帰って行った。(中略)そして眼前の暗さも、幻滅の悲しみも、冬の寒さも、何一つむだになるもののなかったと思うような春の来ることを信ぜずにはいられないでいる」。島崎藤村はその第4感想集『春を待ちつつ』でこのように書いています。関東大震災の2年後、大正14年の正月のことです。わが人生を振り返って共感する言葉です。
