コラム・エッセイ
再び 弥生(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)弥生、三月。桜の蕾がふくらみます。卒業の季節です。「あおげば尊し」を歌って小学校を巣立ったのは昭和38年(1963)。早や61年の歳月が流れました。「蛍の光」とともに今もこの歌を聴くと小学校、中学校の日々を懐かしく思い起こします。
中学校に入学した年が山口国体、翌年が東京オリンピックで、世はまさに高度経済成長へと好景気に沸いていました。各家庭に普及したテレビが白黒からカラーへと移った時代です。中学校を卒業して就職する仲間も多く、集団就職の列車が岡山、大阪へ。鉄鋼や繊維が日本経済を支えていました。高校へ進んだ仲間もその多くが卒業とともに故郷を後にしました。
人生の岐路で思い起こされるのがふるさとの駅。初めての旅立ちに不安と期待で胸がいっぱいです。待合室で、ホームで家族や友人と別れを告げる時に交わした言葉、見つめあった表情。映画の一場面を見るように脳裏に焼き付いています。
汽車を待つ君の横でぼくは
時計を気にしている
季節はずれの雪が降ってる
伊勢正三が作った「なごり雪」は駅での切ない別れを彷彿とさせます。津久見市の中学校から大分市の大分舞鶴高校に進学した彼はここで南こうせつと出会います。その後にフォークグループ「かぐや姫」を結成して活動、昭和49年(1974)にアルバム「三階建の詩」収録曲として「なごり雪」を発表しました。22歳の頃でした。翌年に歌手のイルカがシングルを発売して大ヒット。今も歌い継がれます。
「青春のほろ苦さや切なさ、これから遠いところへ行ってしまうという悲しさ。津久見駅で感じたいろんな思いが、あの歌につながっているのです」。後年、読売新聞の取材に応じた伊勢正三の言葉です。
古くは井沢八郎の「あゝ上野駅」(1964)。この歌は東京に出た東北地方の若者が上野駅でふるさとを恋しく思う歌。辛い気持ちを吹っ切って元気を取り戻したのでしょう。岩手出身の石川啄木は上京後、明治40年代にこんな歌を詠んでいます。
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
中島みゆき「ホームにて」(1977)や竹内まりや「駅」(1987)も懐かしいです。線路の先には都会があり、故郷があります。夢を求めて都会へ、傷ついて故郷へ。そこにはいつも駅がありました。その玄関口には人それぞれの思い出があります。
