2025年03月18日(火)

コラム・エッセイ

再々長月(一)

随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)

 稲穂が色づいて山里では収穫が始まりました。来月にかけて農家は収穫に追われます。私が子どもの時には柿が熟れて稲穂がたわわに実り、10月の運動会の頃に稲刈りが最盛期でした。

 日本人の暮らしを支えてきたお米。今年は米穀店やスーパーでお米が品薄です。価格も高騰しています。東京の友人が「店頭からお米が消えた。山口はいかがですか」と。近辺のお店をのぞくと在庫がなくて新米がようやく並び始めたようでした。新米が出る前は例年、品薄傾向になるようですが、新聞やテレビで報道されると不安をかきたてられて買い込んでしまいます。

 朝日新聞の天声人語(8月21日)や読売新聞の社説(8月23日)がこの状況を伝えるとともに農林水産省の長期の視点に欠ける農業政策を指摘、適切な情報発信を求めていました。24日の日本経済新聞も「コメ価格、20年ぶりの伸び 供給抑える政策のツケ」と大きく掲載しました。

 「古くから日本では、米を作ること、糸を紡いで機を織ること、木を植えて家を建てることは、神聖な三つの仕事とされてきました。三つの仕事は、丹精を尽くせば自然のなかで永遠に循環して、人々を平和に生きさせることができる。これは生業の姿をとったひとつの深い信仰として、日本の歴史のなかに黙って根を張っていた考え方、生き方です」(前田英樹著『保田與重郎を知る』)。

 作家、評論家として活躍した保田與重郎は明治43年(1910)、奈良県桜井市の林業や綿糸業に関わる旧家に誕生。この地は大和の国が発祥した場所で、近くには三輪山をご神体とした大神神社があります。三輪山のふもとをめぐって北に延びるのが山ノ辺の道。日本最古の道です。東大で美学美術史を学んだ保田は、昭和10年(1935)に雑誌『日本浪漫派』を創刊、教養主義や既存の文学運動を否定する新たな運動を起こしました。

 昭和56年、72歳で逝去。晩年は人から書を頼まれると「自然」と書き、これを「かむながら」と読ませました。「神ながらの道」は「自然の道」だと。年の初めという、“とし”という言葉は米のこと。人の齢を“とし”というのも米がもとであると。数え年は、一年に一度とれる米を一とし、それを幾つ食べたかという勘定です。年の初めを、終りなき世のためしとして祝いました。

 米を作り、それによって生きてゆく生活というものが、人生において永遠のものと考える保田與重郎の思想に共感した若き日を思い起こします。「米」は日本の歴史を、文化を考えるうえで欠かせないテーマです。

 新米の其一粒の光かな 高浜虚子

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