コラム・エッセイ
再々 師走(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)今年も余日少なく、あと5日で大晦日。師走も押しつまって年の暮を実感します。子どもらは冬休みに入り、職場は仕事納めを迎えます。家々ではお正月の準備に忙しく、商店街も年用意に余念のない買い物客で賑わいます。京都の錦市場や大阪の黒門市場のように地方にもそれぞれの庶民の年の市があります。
子どもの頃の昭和30年代を懐かしく思い起こすのはなぜでしょう。まだ車も少なく大通りを鼻の長いバスが走っている時代です。町筋には食料品や酒、塩、たばこ、衣料品、文具などを売る店が軒を並べていました。晦日、大晦日も裸電球の下、威勢のよい掛け声が飛び交っていて心弾む風景。現金支払いでなく、通い帳に品物の代金を書き込んで盆と暮の節季払いをする人たちもいました。顏なじみの信用商売が成り立っていたのです。
年の市白髪の母漂へる 山田みづえ
わが家も光市の町中で小さな履物店を営んでいて暮の大売り出しでは下駄や草履がよく売れました。父は足を組んで前垂れの布の上に下駄を置いて鼻緒をすげていました。下駄の裏は金具を小さな釘で止めていて小学生の私も手伝ったことがあります。金具を痛めずに打ち込むのが実に難しかったです。商家も農家も子どもらはよく手伝いをさせられましたが、今となっては懐かしく学びの場でもありました。
餅つきは晦日にする家が多かったように思います。もち米を蒸して杵と臼で搗き上げた餅は手際よく丸めて木箱に入れました。大中小の餅は鏡餅として床の間に飾りました。大晦日の締めくくりは年越しそば。温かい掛けそばに海老のてんぷらを添えて紅白歌合戦を楽しみながら食べました。商売が終って家族が揃うのは夜9時すぎ。それでも貧しいながら家族団らんの光景に幸せを感じていました。
春日八郎、三橋美智也、美空ひばり、島倉千代子に続いて橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家が登場する時代でした。宮田輝の名調子。「歌は世につれ世は歌につれ」。時代を反映して紅白歌合戦も様変わりしました。若い世代を意識してのことでしょう。紅白の後は「ゆく年くる年」。静かな画面に一転します。
除夜の鐘終りし後も鳴るごとし 富田直治
寺々が一斉に撞く鐘の音。百八という人間の煩悩を一つずつ救う除夜の鐘。能登半島をはじめ、災害に見舞われた地域にも響いて日常が戻ることを祈ります。
