コラム・エッセイ
再々 弥生(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)3月に入ると卒業式を思い起こします。学び舎を巣立つ季節。〈あおげば尊し わが師の恩 教えの庭にも はや いくとせ‥〉。故郷で過ごした小学校、中学校での歳月。「あおげば尊し」の歌とともに恩師や友だちの顏が浮かびます。お変わりないでしょうか。
梅から桃、桜へと季節は移ろいます。ゆっくりと時が流れていた子どもの頃に比べると、大人になって齢を重ねるとあっという間に時は過ぎ去ります。一年を実に短く感じます。桃の節句が終わり、寒暖を繰り返し、ひと雨ごとに「うららかな春」に近づきます。
ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子
菜の花や連翹(れんぎょう)など黄色の花が咲く頃になりました。道端に目をやると匂い菫(すみれ)が紫の可憐な花をつけています。草木がいよいよ生い茂るという意味の「いやおひ」が転じて「弥生」の名に。春を迎えて野の花が次々と咲き始めます。控えめに咲く花はそれぞれに思わぬ美しさを秘めています。
山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉
菫程な小さき人に生れたし 夏目漱石
親しまれている菫の句。江戸前期の俳人松尾芭蕉の「野ざらし紀行」にある一句は〈なにやらゆかし〉に心を揺さぶられます。〈ゆかし〉の思いが深いです。熊本の旧制五高に赴任中の明治30年に詠んだ一句は、漱石が俳句に身を入れた時期でどんな心境だったのでしょう。小さくてもたくましく咲く菫のような人になりたいと思ったのでしょうか。生きる気概を感じます。
春を告げるお寺の行事が「修二会(しゅにえ)」で罪を懺悔(ざんげ)して平安と豊穣を祈ります。奈良・東大寺の二月堂で3月1日から14日まで行われる「修二会」が有名です。12日の深夜から催される「お水取り」では僧侶が本尊にお供えする水を汲みに行く際、火の粉をまき散らしながら松明(たいまつ)を引きまわす様子は迫力満点。火の粉を浴びると厄除けになると言われ、毎年多くの参拝客でにぎわいます。
東大寺の西側には戒壇堂、北に向かえば正倉院、さらに東の若草山へと歩を進めると二月堂に行きつきます。1月第4土曜日に行われる若草山の山焼きが早春を呼び、二月堂のお水取りが春の到来を告げます。
バスを待ち大路の春をうたがわず
胸部疾患に生涯苦しんだ石田波郷の青春時代の一句。昭和8年作。
