コラム・エッセイ
再々 弥生(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)彼岸が明けて学校は春休みに入りました。3月もあと4日を残すのみ。4月から新年度が始まります。進学、就職、転勤など異動の季節。期待と不安の中、新たな旅立ちの季節を桜が彩ります。
心待ちにしていた桜が咲き始めました。桜を見るたびに幼い頃に家族で出かけた室積公園での花見や小学校の入学式などを思い起こします。いよいよ花見の季節。〈さまざまの事おもひ出す桜かな〉。芭蕉の句のように人生の折々に桜が登場してきます。日本人に生まれて良かったとさえ思います。
敷島の 大和心を 人問はば
朝日ににほふ 山桜花
伊勢松坂に生まれた江戸中期の国学者、本居宣長が61歳の時、自画像に書きつけた歌。大和心とは何であるかと問われれば、それは朝日に照り映える山桜の花だと答えよう、という意味ですが、生涯をかけて『古事記伝』をまとめたのをはじめ、平安文学の研究によって「もののあはれ」を提唱した宣長の心の表れでもありましょう。
「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、‥」。室町時代の禅僧、一休宗純の名言。優れているもののたとえです。花と言えば桜を指しますが、奈良時代までは梅が主流でした。平安時代になると梅から桜へと主役が変わります。宮中の花見の宴は武士にも好まれ、鎌倉や室町時代には将軍が花見に出かけ、豊臣秀吉が奈良・吉野や京都・醍醐寺で催した花見は有名です。
農村では古くから山の神を田に迎える神事として、花が咲く頃に山野で飲食をする風習があったと言われます。それをきっかけに田植えの準備を始めたようです。江戸時代に入ると8代将軍の吉宗が植樹を進めて一気に庶民の間に広がりました。幕末にエドヒガンとオオシマザクラを祖としたソメイヨシノが誕生、明治にかけて全国に普及しました。
うらうらと 照れる光に けぶりあひて
咲きしづもれる 山ざくら花
「酒と旅と人生」に生きた宮崎出身の歌人、若山牧水の一首。早稲田で学び、北原白秋らと交流を深めた牧水は大正11年春、天城山の湯ヶ島温泉に遊んで詠みました。美しい情景です。あでやかに咲き誇る花の下で宴を楽しむのもよいですが、齢を重ねると薄紅色の静かなたたずまいの山桜の風情にも心惹かれます。「あと何度、この桜を見られるだろうか」。桜の季節になるとこのような感懐がわきます。桜に人生が投影されて不思議な魅力を放ちます。
