コラム・エッセイ
再々卯月(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)春の海終日のたりのたりかな
与謝蕪村のあまりにも有名な俳句です。穏やかな春の海。桜が散り、木の芽が伸びて若葉がその葉を広げていきます。新年度とともに気分も一新、何かが始まる予感がします。
のどかな春の海を眺めると、子どもの頃の潮干狩りを思い起こします。大島半島や笠戸島、室積海岸など瀬戸内の各地は賑わいました。潮の干満の差が激しい大潮の日には家族連れで浅蜊や蛤などを取って楽しみました。この季節になると私たち同世代の話題によく上ります。それだけ印象が深い磯遊びでした。潮が満ちて来るまで時を忘れて一心に掘り続けていました。
蕪村は江戸中期の俳人、画家。画家として高名で俳句にもその才が生かされました。どことなく絵画的で眼前に風景が広がります。春の雨にぬれる小貝のほのかな美しさを表現したこのような句もあります。
春雨や小磯の小貝ぬるゝほど
春の海はおもむきがあって歌人や俳人、詩人の心を捉えます。明治33年大阪に生まれた詩人、三好達治も昭和5年刊行した第一詩集『測量船』の巻頭で「春の岬」を詠みました。
春の岬旅のをはりの鷗どり
浮きつつ遠くなりにけるかも
旧制三高から東大仏文科で学び、昭和3年に小林秀雄、中島健蔵、今日出海らとともに卒業。詩人として活躍、昭和19年に福井の坂井郡三国に疎開し、24年2月東京に戻りました。戦後の21年に刊行した『砂の砦』は北陸の荒涼たる海辺で書かれた詩33編を収録。その一編に「鷗」があります。
つひに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥床(ふしど)とする
つひに自由は彼らのものだ
‥‥
この詩には戦後の復興で希望の光が差し込んで詩人の躍動する心臓の鼓動が感じられます。私の高校時代の恩師、礒永秀雄さんは学徒動員で出征、戦後は残された命を詩人に賭けて昭和25年詩誌「駱駝」を創刊。詩作を続けながら教壇に立ちました。三好達治への師事は叶いませんでしたが、その決意は断ちがたかったようです。
結成40年を迎えた男声合唱団メールソレイネがこの「鷗」に挑戦しています。木下牧子が作曲した男声合唱とピアノのための「鷗」は時代を象徴的に表現した美しい作品。私も仲間とともに歌い続けて豊かな時を重ねます。
