コラム・エッセイ
再々 卯月(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)「山笑ふ」。木々が芽吹き、花も咲き始め、生気に満ちてきます。その山の様子を擬人化した表現。俳句では春の季語。山を見渡すとまさに「山笑ふ」季節。新緑に輝く山裾を山藤や桐の花が彩り、山を歩きたくなります。
故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡 子規
19日の日本経済新聞歌壇に「山笑ふ」の雰囲気を詠んだ一首がありました。リズムが軽やかでめでたさ満載。過ぎゆく春を惜しむようです。
赤ちゃんが元気に生まれた山笑う 娘も笑うみなみな笑う 福岡 武内 美穂
故郷の山は誰も懐かしい思い出があることでしょう。幼い頃から野山を駆け回ったり、小学校の遠足で山登りをしたり。光市に生まれ育った私も千坊山や大峰山、高校生になると柳井港の琴石山、室津の皇座山、櫛ケ浜の太華山、大向の金峰山などに遠出して山歩きを楽しみました。
山を愛した文学者、深田久弥の不朽の名著『日本百名山』。昭和39年に新潮社から刊行された後も昭和53年新潮文庫に。今も詠み継がれてこれほど親しまれた山の本はないでしょう。
久弥は明治36年(1903)石川県大聖寺町生まれ。福井中学校から第一高等学校に進学してから本格的に登山を始めました。東大哲学科在学中から改造社編集部に所属、のちに文筆家として小説をはじめ、数多くの山岳紀行、旅行記を世に出しました。昭和46年(1971)3月21日山梨県の茅ヶ岳を登山中に脳溢血で倒れ、帰らぬ人となりました。享年68。登山口には有志によって文学碑を建立。碑には自筆の「百の頂に 百の喜びあり」が刻まれています。
久弥の影響で山歩きを始めた人は多いでしょう。私もその一人です。社会人になった昭和40年代、週末になると徳山駅はリュックサックを背負った若者で賑わいました。金曜の夜に夜行で出かける人も。鳥取の大山や愛媛の石鎚山、大分の九重連山へ。列車やバスを乗り継いで山に入りました。高山植物に癒され、ふもとの温泉も楽しみの一つ。多感な青春時代に自らの生き方を問い返されるのも山でした。大自然が悩みを吹き飛ばして心と体を鍛えてくれました。
信濃には八十の高山ありと云へど女の神山の蓼科われは
蓼科山を愛した歌人、伊藤左千夫の一首。道に迷って山頂付近で一夜を明かした私の忘れがたき山でもあります。
