コラム・エッセイ
(17)安徳宮
補 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
源平合戦の一ノ谷の戦いがあったとされる、神戸市の須磨浦公園を歩いてみた。公園は、山沿いを走る山陽電車と海沿いを走る国道2号線、JR神戸線とに挟まれた松林の中を当時を保存するかのように続いている。
山陽電車の須磨浦公園駅から東に向かって、しばらく進んだ場所に「源平史跡 戦いの濱」の石碑がある。この辺りに、平家が陣を構えたと言われている。海と山に囲まれた地形は、最適な場所であったに違いない。
しかし平家は、それにもかかわらず無残にも敗れ去っている。その理由については、地形的にみても「逆落とし」による奇襲が関係していたように思われる。予想外の場所からの攻撃に対応できなかったのであろう。
ただし、「逆落とし」による奇襲が原因とする説以外にも、後白河法皇から合戦を起こさないようにという書状が届いたとする説がある。もしも、それが本当であれば、平家はまんまと策略にはめられたことになる。
確かに、「逆落とし」を敗因とするには多少の無理があるかもしれない。真偽の程は定かではないが、多すぎるほどの討ち死にを出した平家の惨状から考えると、策略があったことを認めざるを得ないような気もする。
「戦いの濱」の石碑から、山陽電車の架道橋をくぐり抜ける狭い道を進むと、険しい斜面に続くつづら折りの坂道が現れる。一説によると、この険しい斜面が「逆落とし」が行われた場所ではないかと推測されている。
実際に、その険しい坂道を登ってみると、この場所で「逆落とし」があったとしてもおかしくないような気がした。この坂道が、平家が構えた陣のすぐ近くにあることから、より奇襲の効果が発揮されたと思われる。
さらに、この坂道を登った先には、一の谷公園がある。公園内には、平家が京を追われて西走する時に内裏が置かれたと伝えられる「安徳帝内裏跡伝説地」の石碑や、安徳天皇を祀ったとされる「安徳宮」などがある。
