コラム・エッセイ
(46)水選鉱跡
再々周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
3年ぶりに山口市阿東の蔵目喜(ぞうめき)の桜郷銅山跡に立ち寄ってみた。そこでは、予想だにしなかった意外な風景が待ち受けていた。その風景は、今まで一度も目にしたことがなかった水選鉱跡の全景であった。
以前訪れた時に、公園の入り口近くにある「桜郷銅山跡農村公園散策コース」の案内板に水選鉱跡の巨大な施設が描かれていたので行ってみたが、そこには説明板があるだけで水選鉱跡を見つけることができなかった。
その原因は、樹木によって見えなくなっていたからであろう。石垣などが木陰からわずかにのぞいていた時に比べると、水選鉱跡が出現したことによって銅山遺跡としての存在感が一段と高まったように感じられた。
水選鉱とは、採掘した鉱石を有用なものと不要なものとに選別する方法の一つで、水や化学薬品を使うことから水選鉱や浮遊選鉱と呼ばれている。あえて傾斜のある場所に設置することで、効率的な運営が可能となる。
水選鉱跡の説明板には、稼働していた昭和30年頃の写真が載せられているので、当時の様子を目の前に広がる遺構と見比べながら確認することができる。まるで、古き良き時代の躍動感が伝わってくるような気がする。
この水選鉱が稼働していた時期は、昭和30年から37年頃までと説明板に記されている。今から61年前の昭和38年(1963)に、宇部興産が操業を終了していることからすれば、桜郷銅山の最後の施設ということになる。
『阿東町誌』には、「大同元年(806)より延徳年間(1489-91)にいたる680余年間にかけて隆盛を極めたという」と記されている。農村公園となった桜郷銅山跡には、今も約1200年の長い歴史が刻み込まれている。
水選鉱跡の遺構を、山口のマチュピチュという人もいる。今の時代、生産遺産として保存するよりも観光ができる場所にした方が好まれるのであろう。その賛否は別にして、ぜひ多くの人に足を運んでほしいと思う。
