コラム・エッセイ
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再々周南新百景 佐森芳夫(画家)
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(90)朝焼け
硫黄島での滞在時間は、わずか21時間30分であった。テントの設営や日没後の活動できない時間を除けば、余りにも短い時間であったが、それでも、主な目的の安徳...
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(89)俊寛堂
硫黄島港のそばに、俊寛(しゅんかん)の像が建てられている。海にむかって力強く右手を突き出したその姿は、胸に迫ってくるものがある。そこに、俊寛がたどったで...
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(88)安徳天皇墓所
「フェリーみしま」が、鉄分で茶色に染まった硫黄島の港に入港した。観光案内所でキャンプ場の利用受付を済ませて、すぐ近くにあるカルデラの断崖絶壁がそびえ立つ...
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(87)開聞岳
硫黄島に行くためのフェリーは、日帰り片道便と一泊二日の往復便がある。しかし、毎日のように運航されているわけではない。およそ1週間に各2便の運航については...
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(86)硫黄島
『平家物語』によると、安徳天皇は壇ノ浦の戦いで二位尼とともに入水したとされている。ところが、その一方で、平家の残党に守られながら地方に逃れて生き延びたと...
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(85)アサギマダラ
10月21日、今年もアサギマダラが飛んできた。昨年と同じ日ではあるが、実際には、この日より8日前の13日に姿を見せていた。しかし、まだフジバカマの花が咲...
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(84)水の泡
「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず」鴨長明の有名な『方丈記』の冒頭の一節である。そして、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結び...
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(83)曼珠沙華
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がある。その言葉は、まさに読んで字のごとく、夏の暑さも冬の寒さも彼岸を境に和らぐことを表している。その境となる彼岸は、春...
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(82)菊川湖
周南市川上にある川上ダムは、昭和37年(1962)に完成した堤防の長さ120メートル、堤高46、5メートルの重力式コンクリートダムである。その後、昭和4...
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(81)ヘクソカズラ
「ヘクソカズラ」を漢字で書くと、「屁糞葛」となる。その漢字に書かれているのは、まぎれもなく「屁(へ)」と「糞(くそ)」である。誰にはばかることなく、屁と...
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(80)嶽山
「嶽山」と書いて「だけやま」と読む。その嶽山は、周南市富田と小畑の間にそびえる標高364mの低山である。低山ではあるが、市街地から近いことや登りやすいこ...
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(79)カヤツリグサ
子供のころの思い出には、蚊帳(かや)のある風景が必ず登場する。まだ、エアコンも扇風機もなかった時代のことであるが、夏の夜になると、家じゅうの障子戸を開け...
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(78)海外引揚げ上陸跡地
長門市の仙崎港にある海外引揚げ上陸跡地を訪ねてみた。終戦時、外地(日本が領有していた地域)に残留していた日本人は約674万人と言われ、その内訳は、軍人が...
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(77)古川跨線橋工事
古川跨線橋(ふるかわこせんきょう)は、周南市川手と野村3丁目をつなぐ跨線橋である。区間の全長は、約400メートルにおよぶ。そのうち橋梁部は約132メート...
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(76)ヘチマ
「糸瓜」と書いてヘチマと読む。その名前の由来は、もともとイトウリと呼ばれていたものがいつの間にかイが省略されてトウリとなり、トの文字がいろはのヘとチの間...
